はじめに・ご挨拶
新潟県長岡市山古志。中越地震で山古志が被災してから17年。
現在は800人足らずの人たちが、宝物の錦鯉や闘牛の伝統などを守り続けながら暮らしています。
昨年、この山古志の魅力を広めようと始めた「山古志 棚田、棚池あかりのページェント」。
山花火と棚田・棚池に映り込む2,500個の灯りは幻想的で大変好評をいただき、山古志でしか見られないイベントとなりました。
そして、今年の開催には多くの方の力が必要です。
あかりのぺージェントをきっかけにたくさんの人たちにも里山の暮らしに興味をもってもらい、灯りを照らし訪れてくださった方々の心も温かく包む、そんなイベントにしたいという想いを込めて、クラウドファンディングを始めます。
昨年開催し、大変好評をいただきましたました「山古志 棚田・棚池あかりのページェント」。山花火と棚田・棚池に映り込む2,500個の灯りは幻想的でここでしか見られないイベントとなりました。
私たちの地域のご紹介
日本三大花火開催地として有名な新潟県長岡市。曲がりくねった道を登っていくと棚田や錦鯉の養鯉池の棚池など自然が美しく広がる山古志地域があります。
「山古志」という地名に記憶のある方も多いかと思います。そう、2004年の中越地震で全村避難をした地域ですが、千年以上の歴史があると伝えられている国指定重要無形民俗文化財の「牛の角突き」の開催や、世界中にファンを持つ泳ぐ宝石「錦鯉」の発祥の地で、震災からも見事に復興しています。
この地には昔からの伝統が今もなお、息づいています。かつて「二十村郷」と呼ばれた山古志を含む一帯地域の棚田や棚池は、豪雪や地滑りという厳しい環境を「住民の知恵」と「巧みな技術」によって恩恵へと転換した暮らしの結晶です。この「雪の恵みを活かした稲作・養鯉システム」が日本農業遺産として認定されています。
私は山古志観光協会会長の田中仁です。
みなさん「棚田や棚池をきれい」と言って下さるけれど、それが私たちの暮らしの土台です。
昔から、山あいでお米を作るときに水が不足するので、山古志では棚池を作っていました。池の水を利用したり、池で鯉を飼って食用にしたりしていた暮らしが今に続いているものです。はじめて赤い模様の鯉が生まれたとき、先人たちに愛でる心があったのでしょう。
明治から大正期には観賞用として育ててきました。
それがやがて、錦鯉は生業となって、暮らしの糧になり錦鯉は日本の文化として、世界中から注目されて、山古志にも各国のバイヤーが訪れます。
平野部の機械化された農業と違って、錦鯉を育む棚池と棚田を守るのは、手間のかかる仕事です。それでも先人たちが残してくれた文化を守りたい。山が荒れると、下流域の都市部にも深刻な自然災害を引き起こします。
「棚田・棚池あかりのページェント」をきっかけに、私たちの暮らしに興味を持って下さることを願っています。めまぐるしく変化する世の中で忘れられた大切なものが見つかるかもしれません。「このクラウドファンディングに参加して良かった」と思っていただけるようにしたいです。
長岡市錦鯉養殖組合青年部の五十嵐俊将です。
父の時代から養鯉業を引き継ぎ、2代目になります。
山古志の錦鯉は、約200年前、山古志を含め二十村郷の中山間地で黒鯉からの突然変異で生まれました。昔の山の暮らしは、冬は雪に閉ざされて、陸の孤島のようでしたから、錦鯉は山のみんなの娯楽でした。
鯉は、暮らしの中で飼っているのが当たり前ですので、お金を稼ぐ対象ではなくて、育てること