はじめまして。この度は、私たちのプロジェクトをご覧いただきありがとうございます。
私たちは堀川まつりを主催する「堀川まつり実行委員会」です。
開催日:令和3年6月6日
開催場所:熱田区宮の渡し公園付近
協力:あつた宮宿会、NPO法人堀川まちネット、宮の渡し・大瀬子地区まちづくり協議会、加藤煙火株式会社、ALL真田魂(さなだましい)
プロジェクトについてご説明する前に、堀川まつりについて少し説明させていただきます。
堀川まつりは、名古屋市の南部にある熱田区(有名な「熱田神宮」がある地域です)で、1990 年に第 1回を開催して以来、約 30 年続くまつりです。
今から約1,200年前、時代は平安中期の頃、全国的な疫病の流行が何年も続き、民は「籏鉾」を立て、その鉾に悪霊を移し宿らせ諸国の穢れを払うようになりました。この祭事が「祇園祭」の起源とされています。
その頃の熱田でも同じく疫病に苦しめられていました。
「祇園祭」は熱田にも伝わり、自然と「籏鉾」を立てて疫病退散の祭事が始まり、西暦1,000年頃には南新宮社も創建され、熱田の町民にとって密着感のある神社となりました。この「籏鉾」の祭事は旧暦6月5日に執り行われ、「熱田祇園祭」「熱田天王祭」と呼ばれ、後に「熱田大山祭」、今では新暦の6月5日に開催されている「熱田まつり(尚武祭)」と受け継がれていきました。
祭りの形は時代とともに変化を繰り返し、室町後期には高さ20メートルを超える大山車と山車が造られ、曳き回わすようになりました。しかし、明治時代になると電線が縦横に架かるようになると大山を曳きまわすことができなくなりました。明治時代後期、日清日露戦争による戦死者の鎮魂のためまきわら船を浮かべ「尚武祭」と呼ばれるようになりました。昭和に入りそのまきわら船も陸に上がり、献灯まきわらになりました。
このまつりの歴史を知った地元の有志が声を上げ、 1990 年にまきわら船を、 2010 年に山車の曳き廻しを復活させ、現在まで続いており、毎年多くの方に足を運んで頂いています。
一昨年は、新元号「令和」となり「あつた宮宿会」による出店や堀川まつり30周年と新元号を祝う花火を打ち上げました。
[あつた宮宿会による出店]
あつた宮宿会とは、熱田を愛する有志たちの団体です。熱田神宮の参拝客へのおもてなしや清掃活動など、熱田を賑やかにするための活動をしています。今回も、街づくりの一端として堀川まつりに協力してくださいます。感謝!
まつりは、名古屋市内を流れる堀川沿いにある「宮の渡し公園」付近で行っています。名古屋市熱田区は東海道五十三次 の宿場町「宮宿」があったところで、「桑名宿(三重県桑名市)」の海 路をつなぐ船の渡船場でした。宮宿~桑名宿の移動距離が 7 里(約 27kmだったことから「七里の渡し」と呼ばれ、宮宿側は「宮の渡し」と呼ばれていたことが公園名の由来です。
毎月、公園や堀川の清掃活動を行っていて(もちろん、実行委員会のメンバーも参加しています!)、地域の人たちに愛されている場所です。
まつりが 令和元年 に 30 周年の節目を迎え、さらなる盛り上がりを心に期していた中、新型コロナウィルスが世界中で大流行しました。感染拡大防止のため、人々の生活が制限され、イベント の多くが中止または規模が縮小されました。堀川まつりも例外ではなく、昨年は、大山の曳き廻しやまきわら船は中止し、大山を設置して新型コロナウイルス 退散を願うお祓いのみを行いました。
新型コロナ