想像力がつなげるプロジェクト「学校の体育館がみんなの劇場になる日」を続けたい!

る想像力を失わないで」と伝えたくて、テーマに賛同する表現者、スタッフにより創作されたこの作品は、20年という時が過ぎ、時代が変わっても色あせることなく「いまの人々」に伝える力を持った作品です。

上演するたびに、観客一人ひとりの心に寄り添う力のある作品であることを実感してきました。
ひとつのまちで上演すると、「私達の町でも上演してほしい!」と、新しい町で上演実行委員会が立ち上がる。そういう力を持った作品です。

また、わたしたちは、子どもたちが「演劇」という舞台芸術にふれる機会を増やしたいとも思っています。「演劇」は、関係性の芸術とも言われます。生身の人間が舞台上で表現する感情、物語に、観るものはさまざまな心の動きを経験し、共感や疑似体験を覚えます。

子どもたち一人ひとりに、その子だけの「心の時間」を提供できるのが、「演劇」なのです。登場人物への感情移入は、子どもたちに自分自身のことを考え、他者を思うきっかけをつくってくれます。

「グレイッシュとモモ」は、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」を原案に、1996年に「激弾BKYU」という演劇集団により創作された舞台劇です。

初演当時、いじめや生き辛さなど、さまざまな理由で追いつめられ、不登校や自殺を選ぶ子どもが増加していました。教育現場では芸術に触れる機会が減っていく中、子どもたちに、生身の人間からの励ましを届けたい、物語を通して「あなたは必要とされている」と伝えたい、そうした想いに駆られた表現者たちの手により、この作品は生まれました。

これまでの観劇者は延べ2万人以上。「グレモモ」の愛称で現在もファンが増え続けている、知る人ぞ知る名作舞台が「グレイッシュとモモ」という作品です。

子どもたちのために、と創作された作品ですが、幕を開けてみたら、下は5歳児から上は80代まで、驚くほど多様な世代の人たちがこの作品を愛してくれました。

時代が変わってもこの作品が愛される理由。それは、この舞台劇が「鑑賞」でなく「体験する」作品だからかもしれません。
この作品の脚本・演出を担ってきた、酒井晴人さんはこんな言葉で作品を伝えています。
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ある日、ミヒャエル・エンデさんが、ボクに“種”をくれました。
─『モモ』という“種”
その“種”を、懸命に育てたら『グレイッシュとモモ』という“花”が咲きました。
そしてその“花”は、また“新しい種”を生み出しました。
その“新しい種”を、遠くの町まで運んでくれるモノが現れました。
幸い、その“新しい種”は、その土地で芽を出すことができました。
その土地のモノ達が大事に育ててくれたからです。
水をもらい、光を受けて、その“新しい種”は、スクスク育ってゆきました。
やがて葉が繁り、そして・・・・

エンデさんは、ある学校で自分の作品を朗読した後、
生徒たちのインタビューに答えたそうです。

「私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。
それは体験されることを願っている」と。

以前、ドイツで酷評されたインテリの大人たちに向けての言葉でもありました。
花をみて、美しいと感じる心に難しい解釈はいらないのです。
ダンスや歌を楽しむのに理屈はいりません。まさに“劇”も同じです。

まずは社会の重い荷物を肩からおろし、ありのままの心で観劇して下さい。
その荷物を、また背負う勇気を与えることが“劇”にとっての至上の喜びなのですから。

さて、今回の『グレイッシュとモモ』は、その土地で、どんな花を咲かせるのでしょうか。
願わくば、ご覧になったお客様、ひとり一人に
また“新たなる種”を持ち帰ってもらえれば、ありがたき幸せにございます。

「さあ、20年目に何ができる」と、長年この作品に携わって来たおとなたちは考えました。
初演から20年目の感謝の気持ちと、いま、生き辛さを抱える子どもたちへのエールをどうかたちにする?
深刻な経済格差、生活格差により、子どもの感受性を育む環境にない家庭も増えています。
さまざまな体験こそが育てる子どもたちの感性を守りたい。

そしてはじまったのが「学校の体育館がみんなの劇場になる日」です。
2017年に第1回目の公演が実現しました。

劇中のダンスシーンには、物語とかかわる重要な役割で子どもたちが参加しています。

学校の体育館での「グレイッシュとモモ」公演は、地域の中で誰もがいっしょに観劇できるスタイル。
体育館といえども舞台のクオリティは高いまま、観劇無料の公演です。
限られた条件の中で、連携と創意工夫がつくりあげるクリエイティブな空間。
上演メンバーは、初演からのオリジナルメンバー「激弾BKYU」の俳優・スタッフが中心となり、