泉」がキーになります。
NARAYA CAFEの足湯に使われる温泉配管は、これまで横に家が建っていたため迂回して足湯に注がれていました。
今回、ここが空地になったことで温泉配管のルートを見直し、新たにタンクを設けますが、せっかく温泉が流れているのだから、その流れをヴィジュアルでも見せたいと思っています。
庭師のメンバーを中心に石を運んで地ならししながら、階段状の広場を作り、源泉タンクからオーバーフローした温泉を流します。
石を敷き詰め、現場合わせで作るので、どんな形になるかは出来上がってみてのお楽しみです。
唯一決まっているのは「誰にでも開かれた広場」であること。
(「誰でも」は鳥や動物たちも含みます)
宮ノ下の玄関口にふさわしい、明るくてオープンな広場を目指します。
NARAYA CAFEの客席とも廊下で繋がる予定です。
私たちの地域のご紹介
ここ宮ノ下は幕末から明治・大正時代にかけて、西洋人によりリゾートとして見出され賑わってきました。私の実家であった奈良屋旅館は江戸時代中期から続く温泉宿でしたが、幕末の頃から西洋人も受け入れるようになりました。
その後、富士屋ホテルが開業し、奈良屋も西洋館を建設し「NARAYA HOTEL」を名乗るようになり、両者はライバルとなりました。
このライバル関係はエスカレートしたため、のちに「外国人は富士屋・日本人は奈良屋に宿泊する」という紳士協定を生んで共存をはかっていきました。
その後、関東大震災で奈良屋西洋館は崩壊したため、富士屋は現在の姿で残り、奈良屋は日本旅館としての道を歩みました。
その奈良屋旅館も2001年に相続税の負担から閉館し、現在は私たちがNARAYA CAFEとして宮ノ下駅前に場所を移して営業しています。
今も街に多く立地する骨董品店や英語の看板、それからなぜか80代以上のおばあちゃんたちが流暢な英語をしゃべるということがこの街の特徴です。
プロジェクトを立ち上げた背景
NARAYA CAFEが出来てから10年あまり、コロナ渦に見舞われるまでは外国人観光客も多く、足湯では日々国際交流が行われ、階下のブックカフェでは本を片手に山を眺めて1日ゆっくりと過ごす方も増え、「まちの交流拠点」として思い描いていた夢は実現されてきています。
けれど、日々店を回すことに忙しく、カフェを始めた頃のわくわく感、協働して何かを作り上げることのライブ感は日常の中に埋もれてしまってあまり感じることができなくなってしまっていました。
コロナ渦は良い意味で日常を断ち切ってくれて、先行きへの不安こそはありますが、立ち止まって考える機会を与えてくれました。
今後もNARAYA CAFEはわれわれの商売の中心となるとは思いますが、もっと身近な自然との関わりを生かした活動、地域エコノミストの藻谷浩介さんらが提唱する里山資本主義を実践するような試みをしていきたいと考えています。
これまでの活動
身近な自然との関わりをということで、数年前からはじめている活動に「NARAYA 男衆(おとこしゅう)」というのがあります。
山に登って枯枝を集めてきて、それを薪ストーブでパチパチと燃やすのを楽しみ、それを囲んでみんなでご飯を食べるというとてもシンプルな活動です。燃料の調達と里山の整備、そしてアウトドアアクティビティの楽しみという一石三鳥を目指しています。
そんな遊びの一環のような活動をする中で見つけたのが山の中腹にある朽ちた祠でした。
地元の人に聞くと、それはもともとは浅間講といって富士山への信仰か