生活の一部にさしま茶を!もっと多くの人に茨城のさしま茶を飲んでもらいたい!

生活の一部にさしま茶を!もっと多くの人に茨城のさしま茶を飲んでもらいたい!
日本から最初にアメリカへ輸出された“さしま茶”を、再び海外に輸出するぞ!と「さしま茶生産者輸出協議会」を立ち上げたが、新型コロナウイルスにより輸出事業が中止の止む無き事態に。さしま茶の美味しさを届けたい、海外でも大変評判が良かった深めに煎れたほうじ茶を、一人でも多くのみなさんに飲んで頂きたい!


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生活の一部にさしま茶を!もっと多くの人に茨城のさしま茶を飲んでもらいたい!
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こんにちは。さしま茶生産者輸出協議会の会長を務めます松田浩一と申します。
昨年、1859年日本で初めてアメリカに輸出したさしま茶を、何とかもう一度アメリカに輸出したいという強い気持ちで協議会を立ち上げました。所属メンバーはさしま茶の若手生産者10人です。

一昨年、メンバーで直接アメリカに行き、卸業者さんやアメリカのお茶屋さんと商談をして、実際の商品化に取り組むことになりました。そして、今年に入り商品化ができたところで、アメリカ以外の国とも貿易会社を通じて商品を送った矢先に、今回の新型コロナウイルスで輸出が全てストップになってしまいました。

メンバーが情熱を込めて作った多くのさしま茶が余ってしまい、それを有効に活用できる方法はないかとずっと考えていたところで、さしま茶の魅力をまずは国内(全国)のみなさんに知っていただくためのプロジェクトを立ち上げさせていただくことにしました。

さしま茶の故郷は茨城県西部、かつての下総国(しもうさのくに )。
“坂東太郎”の愛称で親しまれている利根川流域の猿島(さしま)台地が生んだ、古河、坂東、常総、八千代、境の3市2町の誇り「さしま茶」。肥沃な土地に育まれた濃厚な香り、コク味は特筆すべき逸品。

水運要衝の地に生まれた銘茶として、その多くが江戸に運ばれ、さしま茶は下総国の名産として、多くの人々に親しまれてきました。

そして、黒船が来航し混乱の只中にあった江戸時代末期に、国内で初となるお茶の輸出に成功したのがさしま茶でした。

さしま茶の産地は関東地方のほぼ中央に位置し、日光連山を源とする鬼怒川と利根川に挟まれた茨城県西部地域3市(古河市・坂東市・常総市)2町(八千代町・境町)からなっています。

土壌は火山灰性洪積で、気候は年平均気温14℃。年間降水量1250㍉、温暖で太平洋型であるが内陸性気候を併せもち、夏暑く冬強い北西の風によって寒くなります。

このような自然条件から生産される「さしま茶」は、肥沃な土壌と冬の寒さから茶葉に厚みがあるため製茶すると濃厚な味と香りが立ち昇り、コクのあるのが特徴です。

現在は深蒸し製法が主流となり、個々の生産者が自園・自製・自販の茶業経営を展開し一段と、うま味を引き立たせています。

1853(嘉永6)年、ペリーが浦賀に来航、幕府に開港と交易の開始を強く迫ります。

地元の豪農・中山元成は、「さしま茶」の国内各地への販売を関宿藩より託されていましたが、ペリー来航を機に、海外市場に注目したのです。

内政で混乱している江戸時代末期に、貿易に目を付けた中山元成の慧眼には驚かされますが、翌年(1854年)のペリー団の再来日の折、中山は幕府との折衝に接する機会に恵まれ、国を開き外交・貿易を行うことの重要性にあらためて気づくのでした。

海外交易の必要性に目覚めた中山元成は、その後アメリカ総領事ハリスにも接触、「さしま茶」の宣伝に奔走します。

1859(安政6)年、日米修好通商条約発効と同時に、全国の茶名産地に先駆けて「さしま茶」のアメリカ輸出に成功。

海を渡った初の日本茶として名声を博し、明治期に至る日本国内茶産業隆盛の礎を築きました。

日本でも唯一無二の歴史の持つさしま茶。

そんなさしま茶の若手農家である我々の夢は、さしま茶のブランドを国内外に広め、もっと多くの方々にさしま茶の