気を患い、退職して島に帰ってきたところ、幸男さんの助力もあって、牡蠣の養殖を始めます。
イカダ1台からのスタート。養殖事業が早く軌道に乗るようにと、幸男さん夫妻を筆頭に、親族の方々も手伝い始めます。
携帯電話で注文を取り、眠い目をこすりながら伝票処理を行う良和さん。
取引先もイカダの数も増えてきた中、その悲劇は起こりましたーー
軽トラックで資材を運んでいた良和さんが突然のてんかん発作を起こし、車は道路横の壁に激突。事故の衝撃に見舞われた良和さんは、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
余りにも突然の出来事でした。
多くの人が、その早すぎる死を悼んだ
いきなりの訃報に、藤井さん一家にも動揺が走ります。
「責任者が亡くなった以上、牡蠣の事業を廃業しては」という意見も出ましたが、「良和が育てた事業を潰すのは忍びない」と、兄の和平(かずひら)さんが手を挙げ、自らが親方となって牡蠣養殖を引き継ぐ事になりました。
その後、和平さんの息子・勇人さんが高校を卒業し、家業に合流します(本人曰く、「小学生の頃からイカダの上を歩き回っていた」漁師っ子。現在は定置網漁の傍ら、牡蠣養殖も手伝っています)。
(喜多嬉かき(きたきかき:Lサイズ)を軸に、ひながき(M)、美海がき(みうがき:LL)の3サイズを展開)
屋号を「勇和水産」に変え、「めでたい祝いの席で使ってほしい」との思いから「喜多嬉かき」と新たに名付け販路拡大に取り組み始めた2018年の夏ーー
近隣地域を大水害が襲います。(西日本豪雨災害)
北木島の海岸にも、巨大な流木やドラム缶が漂着。
島の漁師さんたちは、漂着物の回収に追われた
そして、急に大量の土砂が流れ込んだ事により、周辺海域に赤潮が発生。
普段の綺麗な海は、そこにはありません。
濁った海面には魚が腹を浮かべて死に絶え、腐臭が何日も海岸まで漂う地獄絵図となりました。
北木島の牡蠣も難を逃れることはできず、8割が死ぬ大損害を受けました。
海の透明度が元に戻って迎えた出荷シーズン。
幸いなことに、無事だった牡蠣は身入りの良さと味を評価され、高級レストランのメニューに採用されるという嬉しい出来事もありました。
美味しさのヒミツ
白状しますと、実は僕、北木島に移住するまで牡蠣が食べれませんでしたm(_ _)m (貝類の生臭みが苦手)
食べれるようになったきっかけは、加工場の休憩時間に仕事仲間のおじさんが特大の牡蠣を剥いてくれたこと。
「ほれ、食うてみぃ」
と差し出された牡蠣を、「実は苦手で…」と断るのも気が引け、思い切って食べてみたところ、まったく臭みもないので抵抗なく食べることができて驚きました。
「え!? 俺、牡蠣食えたんや……( ゚д゚)」
本土から18km離れている北木島。周辺には大きな河川もなく、生活排水が流れ込んでくることはありません。
そのため水はとてもきれいで、「ここらのボラは、時期を選べば鯛より美味い!」と自慢する漁師さんもいるほどです。
(僕もボラの刺し身を食べたことがありますが、臭みがないことに驚きました。)
「水が綺麗=栄養分が少ない」という特徴でもあるので、成長スピードは遅くなりますが、すんなりと食べられる生臭みの無い牡蠣へと育つのです。
波の穏やかな湾内に浮かぶイカダ。ここで牡蠣は育つ。
(知り合いの日本酒利き酒師・ライターの市田真紀さんに、LLサイズをお贈りしたときに頂いたお礼メッセージです。)
『旨味のなんと濃厚なこと。 それでいて、むつこくない。たくさん食べられてしまうのは、清浄