千葉県船橋市大穴生まれ、大穴育ち、51歳のオジサンです
子どもの頃から野球にあけくれ、プロ野球選手を目指し千葉の名門、習志野高校野球部に入りますが1年で挫折し退部...友人に誘われ、軟式野球部に入部し第二の高校野球生活を開始させますが、公式戦では一度も勝てず...高校野球最後の試合の途中で怪我をして中途半端な学生野球が終わりました。
高校を卒業後、調理師学校に入学し和食の世界に足を踏み入れ10年の後、地元に小さい居酒屋をオープンさせる事が出来ました。その後も幾度との失敗を繰り返し、
そして、昨年の12月にキッチンカーの契約をしまいました!
が、どうやらお金が足りない、、大変だ!
私のお店は『 地産工房KAN(漢) 』と言う国産黒毛和牛のモツを使った和牛もつ鍋が看板メニューの居酒屋を営んでおりました。
9年前、2011年3月11日に発生した東日本大震災で私たちが住んでいた船橋も被害を受け計画停電を余儀なくされました。
コンビニやスーパーから食材が消えていき、信号が消え街の明かりが消えていき暗く静かな街になりました。
こんな中で飲食店を営む私たちに何が出来るだろうか、少しでも希望を灯せないだろうかと考えた時にもつ鍋をテイクアウトしてもらえるようにすれば電気が使えなくても鍋とカセットコンロがあれば温かい物が食べられる。家族で温かい鍋を囲めば、一家の団らんが生まれる。そうすればきっと笑顔が生まれる。
そう思いテイクアウトを始めました。
そんな中でもっと多くの被害を受けた被災地の情報が入ってくるようになり多くの死者や行方不明者が日に日に増えていき、生き残った人々も住む所おろか食事もままならない状況でした。
気丈な仲間たちが被災地にボランティアに駆けつけて行きました。
私は僅かな義援金を贈る事しか出来ませんでした。
この時初めて キッチンカーが欲しい! と思いました。(写真はイメージです)
我々に出来るのはご飯を作る事くらい。キッチンカーがあれば被災地に行って温かいご飯が作れるのに、と思いました。しかし直ぐには用意できるものではなく、キッチンカーは飲食店を営む上での目標というか使命という事にしました。
そう思いながらもなかなか思い通りには行かず時が過ぎていくうちに『新型コロナウイルス』という全世界の人々を巻き込むウイルスが蔓延し、世界中を恐怖に陥れました。
日本でも会社や学校が自宅待機となり、飲食店も休業に追い込まれました。
廃業せざるえなくなった仲間達も現れ、飲食店全体が厳しい状況になって来ました。
そこで飲食店が生き残る1つの活路として見出されたのがキッチンカーでした。
コロナ禍では三蜜を避けるための手段として野外での飲食も増えました。
野外のため換気を気にせずソーシャルディスタンスを保ち密集を作らず飲食が出来る。
機動力を持て行動範囲が広がる。つまり、被災地にも赴く事が出来る。
どうしてもキッチンカーが必要だ!
KANマスが心を込めた料理を皆様に届けたい!そして被災地に温かい料理を届けたい!被災地でボランティア活動を続ける仲間達を応援したい!長年飲食店を営んできた私には料理でみんなを元気にするしか出来ない。
3・11がきっかけで始めたもつ鍋のお持ち帰り・・・
地元を元気にしようから、通販を始めてもつ鍋で全国を元気にしようと思った!
頑張ってる子ども達を応援したいと思った‼︎
そしていつかはキッチンカーで直接被災地に温かい物を届けて元気を送りたいと思った!!
KANマスの想いと皆さんの想いを乗せた