◆ 11年前までの高田松原海水浴場
大勢の海水浴客で賑わう震災前の高田松原海水浴場
高田松原には年間約100万人の観光客が訪れ、 夏の海水浴場には多い日で1日5万人の海水浴客が県内外から訪れました。
また、毎年夏には広田湾の海上から花火が上がり、砂浜から花火を見るのが夏の風物詩となっていました。
砂浜ではビーチバレーの大会が行われたり、暑い日には松林の木陰で休んだりするなど、海水浴だけでなく1年中地域で親しまれている憩いの場だったのです。
◆ 2000mの9割が消失した砂浜に15万㎥の砂を投入
2011年以前の高田松原海水浴場の砂浜は約2000mにわたって広がっておりましたが、東日本大震災の津波と地盤沈下により約9割が消失してしまいました。
砂浜の自然再生に要すると推定された期間はなんと数100年。そこで、岩手県は1000mの人工的な整備を決めました。
2014年から砂浜再生事業が始まり、運び込まれた砂の量は合計15万㎥。砂は、周辺の防潮堤工事で出たものやお隣宮城県から持ち込まれました。
2019年3月に完成し、700mが海水浴場として利用される予定です。
現在の高田松原と砂浜と広田湾
◆ 高田松原海水浴場再開への思い① ~ 柴田見さん・紺野学さん
柴田さん(左)、紺野さん(右)
このクラウドファンディングは
「11年ぶりに高田松原海水浴場が再開するので盛り上げたい」
という2人の地元住民の声から始まりました。
『有限会社柴田建設』を経営している柴田見さん と、『ラーメン紺野屋』を運営している紺野学さんです。いわば本クラウドファンディングの火付け役の2人。
陸前高田出身で小さい頃から高田松原で遊んでおり、夏は高田松原海水浴場で泳ぎ、そこにはいくつもの海の家がありました。
「ちっちゃい頃の楽しい記憶は残る。今の子どもたちにも高田松原海水浴場で楽しい思い出を作ってほしい」
と海の家をすることを決めました。
海の家の完成予想図
さらに、お2人は
「津波は恐ろしいが海は悪くない。荒れてる時も穏やかな時もあって人と同じなんだよね」
と笑って話します。地元の人たちはやっぱり海が好きなんですね。
「この10年でたくさんの方が陸前高田へ〝支援〟に来てくれました。感謝の気持ちを伝えると共に、今度は〝遊び〟にきてほしいです。陸前高田で楽しんで帰ってほしいですね」と海の家でたくさんの方をお迎えする決意を語ってくれました。
◆ 高田松原海水浴場再開への思い② ~ 鈴木善久さん(高田松原を守る会)
砂浜と同じく、高田松原海水浴場を彩っていた高田松原防災林。約7万本あった松林も津波により1本を残して消失しました。
高田松原を再生させるべく、『NPO法人高田松原を守る会』と岩手県により4万本の植樹が行われました。これから50年以上かけて、震災前の高田松原の風景を取り戻します。
「その高田松原再生のきっかけとなったのは、震災前年に近隣住民が拾っていた約7万本の松から落ちた松ぼっくりだったんです」と鈴木さんはおっしゃいます。(詳しくは右記の鈴木さんのインタビュー記事をご覧ください。けせん震災と昔の記憶)
日本百景・国の指定文化財に登録されている震災前の高田松原
小さい頃から親しんだ高田松原海岸は、陸前高田に帰ってきた時には必ず行く場所でした。
「お盆には毎年海上から花火が打ち上がり、砂浜で寝転がって見ていた」
という鈴木さんは今回の花火をとても楽しみにされているし、たくさんの陸前高田出身の方にも見に帰ってきてほしいとお話しされました