ただけたなら、このプロジェクトは大成功だと思っています。
プロジェクトをやろうと思った理由
私が白鳥さんのことを知ったのは2003年、民放が深夜に放送していたドキュメンタリー番組でした。
2001年の事件当時、ロサンゼルスに留学していた私は、アメリカ全体が燃えるような敵意と深い悲しみに包まれた現地の空気を肌で感じました。
事件の記憶は強く残り、以来、帰国してからも9・11関連の情報は目を通すようにしていましたが、白鳥さんのことはまったく知りませんでした。
番組の中で、白鳥さんはアフガニスタン各地を回り、テロの遺族ではなく「ひとりの人間として」現地の人たちと向き合っていました。
特に印象的だったのは、子どもたちの前でマジックを披露していた姿です。
渡航前、白鳥さんは考えたそうです。
自分には現地のダリ―語は話せない。
言葉が通じない子どもたちの心を開き、コミュニケーションを取るにはどうすればいいか。
結果、白鳥さんは日本奇術協会に自ら連絡を取り、20万円近い自腹を切って講習を受け、猛練習の果てにマジックを身につけたのです。
「敵」として恨んでもおかしくないアフガニスタンの人たちの悲しみに寄り添い、復興を願い、自分の為すべきことを懸命に考える白鳥さんの姿に、私は胸を打たれました。
もっと白鳥さんのことを知りたい。
番組を見て強い関心を持った私は、白鳥さんが一冊の本を書いていることを知ります。
その本が今回の手記の元になった『NY9・11 息子からの伝言』です。
非常に読みやすく、白鳥さんの考え方や想いはもちろん、当事者でなければ知り得ない事件の裏側や日本政府の対応、当時のアフガニスタンの状況がよくわかるとても良い本でした。
何度も本を読み返しつつ、いつかお会いできれば……と漠然と思っていたところ、なんと十年以上たった2016年のある日、仕事を通じてお目にかかることが出来ました。
初めてお会いする白鳥さんは、思っていた以上に温かく、魅力的な方でした。
なにより本には載っていない話が非常に面白く、2003年の手記が出版されたあとの活動、そして、さらりとしか触れられていなかった幼少期から事件までの半生もたいへん興味深いものでした。
そのとき、こんな貴重なお話を自分だけが知っているのは惜しいな、と思いました。
白鳥さんの話を、活動を、もっとたくさんの方に知ってほしい。
しかし、版元の倒産にともない、私が読んだ白鳥さんの手記はすでに絶版になっていました。また、前述したとおり、多くのメディアの方が白鳥さんの記事やニュースを取り上げてくださってはいたのですが、どうしても限られた尺の中での報じ方になってしまいます。
もっと包括的に、最新の情報を盛り込んだ形で白鳥さんの活動を記録に残すことはできないか。
その後、白鳥さんとは折に触れて連絡を取り合い、半生を綴った簡易な手記の編集を手伝わせていただくなど、5年間に渡ってお付き合いさせていただきました。
そのなかで立ち上がってきたのが、今回の出版プロジェクトです。
正直、出版にかかる経費等を考えると、電子書籍での出版や、インターネット上に記事として残すことも考えました。
しかし、私の両親もそうですが、ご年配の方のなかにはインターネットに苦手意識を感じる方もいらっしゃいます。今回の手記はぜひ、ネットに不馴れな方にもお届けしたいです。白鳥さんがアフガニスタンへの支援に乗り出したとき、すでに60歳を過ぎていました。年齢に関係なく、想いがあればいつでも人は行動できるということを、本