バングラデシュ首都ダッカの日本語センターに存続のご支援をお願いします

バングラデシュ首都ダッカの日本語センターに存続のご支援をお願いします
「JAPANから学び/伝えることがバングラデシュの発展につながる」首都ダッカでNagomi Japanese Language Centerを運営するRahaman氏は言い切る。日本語検定や日本文化の紹介などボランティア同様の運営で100人近くの親日家を輩出。彼は貧困脱出は「教育」と信念を語る。

だ。JAPANは小さな島国とはいえ,ロシアや中国など大きな国と戦って勝利した国なんだ。しかし,第二次世界大戦では負けてしまったのだ。アメリカが原子爆弾を2回も落としたんだよ。でも,戦争で負けてからも経済がグングン伸びているつよい国なんだよ」

さらに,父はこう続けました。

「JAPANESEは礼儀が正しいし,約束を守る人たちなんだよ。勤勉な人たちのようだ。

いま,私たちは貧しいけれど,民族の独立を果たした行動力と国への気持ちはJAPANESEにも劣らないだろう。JAPANから学んで国の発展に役立てようじゃないか」

10年前の3月,Great East Japan earthquake(東日本大震災)の悲劇をテレビでみました。あの恐ろしい災害の様子が脳裏に焼き付いて離れません。

あのとき,僕の親戚は留学していて東京に住んでいました。あとで状況を聞いてみると

「日本人は冷静で規律ただしかった」

ということでした。

地震,火事にTSUNAMI。多くの人が犠牲なった悲劇のなか,それでも冷静で規律正しく行動していた人たちに感服しました。

父は,日本から「学び」そして学んだことで自分の国に貢献することを目指していました。父は貧しい人たちに無担保で融資するグラミン銀行に勤めていました。後発開発途上国バングラデシュの貧しさをなくすことを,僕に期待していたのだと思います。

今にして思えば父から話をもっと聞きたかった…。

しかし,8年前に心臓の病気で亡くなりました。

僕のデスクのうしろには 父の写真がいつも見守ってくれます

僕はダッカの中心地GulshanでNJLCを運営しています。それはJAPANのなかに,僕たちの国が貧困から脱出するためのヒントがあるからです。

僕はJAPANに行ったことはありません。もちろん,行きたいですが余裕がありません。地元にはJAPANESEが少ないので知り合う機会もありません。しかし,JAPANから帰国した人たちの話を聞いて理解を深めています。

当センターが入居するビルと階段

現在,COVID-19のバングラデシュの感染者は50万人を超えていますが,新規感染者は減少しています(2021年3月1日現在)。昨年,僕はCombined Military Hospital(軍用病院)にPCR検査に行きました。早朝にもかかわらず受付番号は800番代,たくさんの人びとが検査に来ていました。

Combined Military Hospital(軍用病院)でPCR検査を待つ人々

COVID-19の感染者は増え続けています。死者も増加しています。バングラデシュ政府の要請で学校・教育関係施設は臨時休業を言い渡されて1年間になります。誰もいない教室はさびしいものです。

しかし最近になって,情報交換の場として有志が少しずつあつまるようになりました。講座は開いていないのですが談笑をしたり,文字の書き取りや日本語の基礎的な会話やCOVID-19後のじぶん達の希望や夢を語り合っています。

僕は,NJLCで学び情報交換をしてきた仲間が戻ってきてくれたとき,うれしくて涙があふれました。休業は僕だってつらかったですが,受講生もつらかったのだそうです。同じ気持ちでいてくれたことに感謝しています。もちろん神に感謝。

バングラデシュは,Japanから学び,資質を高めることが僕たちの国の発展につながる。その目的は利益を得るためではなく人のため。人々が貧困から脱するため。国が成長するため。

そんな思いで,ボランティアのような運営をしてい