「JAPANから学び/伝えることがバングラデシュの発展につながる」
バングラデシュ首都ダッカでNagomi Japanese Language Centerを運営するRahaman氏はこう言い切る。日本語検定テストや日本文化をテーマにしたディスカッションなどのプログラムで100人以上の修了生を輩出している。いま「コロナ感染対策」とした国の通達により,同センターは1年前より休業を強いられた。ところが,最近になって自主的に有志が教室に集まり,ひらがなの書き取りや日本文化を語り合う風景があった。
はじめに
みなさまはじめまして。バングラデシュで日本文化を伝えている Nagomi Japanese Language Center(以下NJLC)の代表,ラハマン(Rahaman)と申します。
みなさんはバングラデシュをご存じでしょうか? 日本から遠い国なのであまり知らないかもしれませんね。しかしBengali(ベンガル人)は,日本のことをよく知っています。
Nagomi Japanese Language Center CEO Rahaman
ここバングラデシュで日本の影響をあらわすひとつにRikisha(リキシャ)があります。僕たちにとって身近な移動手段のRikishaは,自転車のうしろにイスがあってお客さんを乗せる自転車です。バングラデシュでは,あまりにも身近であるためにRikishaという言葉に疑問を持たなかったのですが,日本語の「人力車」が由来と知ったのは,おとなになってからです。
道路を逆走して客を探すRikisha
バングラデシュの人口は1億6千万人を超えています。とくにダッカでは,過去20年間で人口はおよそ2倍の2000万人にまもなく到達するほど増えています(参考:東京都の人口1396万人)。
つねに,自動車やバス,Rikishaなどによる交通渋滞が日常的で中心地から10kmの郊外への移動時間はおよそ1時間30分。遅いときには4時間かかることもあります。
道路には至るところに日本の自動車が走っています。
HONDA,NISSAN,TOYOTAといった日本車の占有率はおよそ90%以上といわれています。
ことしの夏はバングラデシュではじめての地下鉄が完成します。国際空港からダッカ周辺を巡回する地下鉄の車両は日本の会社がつくっています。
湖に停車するRikisha 周囲はゴミの山
自動車とRikishaと人であふれている。バイクも日本ブランドが人気。
昔,バングラデシュは東パキスタンと言われてパキスタンの一部でした。そしてダッカはパキスタン第2の都市だったのです。1971年インドの支援を得てバングラデシュはパキスタンから念願の独立を果たしました。僕たちBengaliにとって念願の民族独立のときに国際社会のなかで最初に支持してくれた国がJAPANだったのです。僕たちBengaliは祖国にほこりを持っています。そして,JAPANには今でも感謝しています。この気持ちは僕だけではなくBengaliの多くは同じ気持ちだと思います。
ところで,バングラデシュの国旗は,日本の「日の丸」にならって赤い丸を緑でおおっています。この赤色は,独立の時に流した民族の血と太陽を意味しています。緑は自然に恵まれた大地を意味します。
バングラデシュと日本の国旗
バングラデシュの独立。それはちょうど50年前,僕がうまれる前のことでした。
僕が幼いころ,父はこのように言いました。
「われわれの国の独立を最初に支持してくれたのがJAPANなん