はじめに
べカンベウシ湿原とは、日本で第二位の広さを誇りラムサール条約に登録されている、北海道厚岸町に広がる湿原です。その中央をうねりながら流れているのがべカンベウシ川。
私はそのべカンベウシ湿原を、単独で、テントで8日ほど野営しながら、凍結したべカンベウシ川の上を歩いて縦断します。
湿原は、週末に出かける山とは異なり馴染みが薄いかも知れませんが、自然環境の中でとても重要な位置を占めており、環境破壊のバロメーターでもあります。
私は今から5年前に、凍結したべカンベウシ川の上を歩いて、単独で8日間かけテントで野営しながらべカンベウシ湿原を縦断しました。そのとき最低気温は-25度まで下がり、手足に軽い凍傷を感じる程でありましたが、今年はどのような状況でしょうか。とても関心があります。前回同様に、雪に覆われた白銀の広大な湿原と、硬く透明な氷と化した川の道があるのでしょうか。それとも温暖化の影響で充分な氷が形成されず、川の上を歩くことは出来ないのでしょうか。
そのどちらであっても、いま世界各国が追い詰められ真剣に取り組み始めたグリーン政策の、その具体的な対象、それはアマゾンの熱帯雨林であり、南極の氷床であり、シベリアの永久凍土であり、そして湿原を、広く知ってもらうということに大きな意義があり、またもし気温が高くて川の上を歩けないような状況であれば、それは温暖化の具体的な警鐘となるでしょう。
自然とサイエンスのどちらにも関わっている私独自の視点で、このプロジェクトを通し地球を眺めてきます。
このプロジェクトの意味、地球環境と湿原
今となっては湿原は観光名所としてポツンポツンと僻地にあるだけの、あまり馴染みのない存在となってしまいましたが、その昔、豊かな川を持つ日本は、その下流域に至るところ広大な湿原を抱えていました。ところが湿原が広がる平野は、人間が田畑を作り町を作り暮らすのにも最適な場所です。土木の技術を持って、その姿を農耕地や市街地へと造り替えていきました。
湿原は動植物の豊かな生活の場所。江戸時代には、江戸、すなわち東京の空にも鶴が舞っていました。そこに彼らの住む場所があったのです。
また湿原は、植物が腐らず堆積している場所でもあります。植物がせっせと体内に取り込んだ二酸化炭素が、再放出されずに蓄えられている、二酸化炭素の吸収源なのです。
湿原は、動植物の保全、そして二酸化炭素の削減、どちらの意味をとっても重要な存在であり、バロメーターでもあります。
このプロジェクトの意味、人と湿原
また20万年もの間、人間は広大な湿原と共に暮らしてきました。それが近年たった200年そこそこで、コンクリートジャングルの中で暮らすようになります。そのことを考えれば、山登りをすると心がリフレッシュされるのは、まるで当たり前なことのようです。
その山よりもさらに深い、全く手付かずの自然、植物と動物に覆い尽くされた、見渡す限り平らな湿原の大地、その中で得られる感覚とはどのようなものでしょうか。今となってはほとんどの人が体験したことすらないその失われつつある感覚を、後世へ途絶えさせてはなりません。体と心と生息環境との結びつきとは生物のサイエンスであり、検討されなければなりません。
資金の使い道
旅費、装備費、資料作成費にあてがいます。
リターン
ウミアック珈琲のスペシャル珈琲ブレンド、またはマグカップをリターンとします。
実施スケジュール
2月中旬に、10日間前後の日程で実施します。
<All-in方式で実施します。>
本プロジェクトは