被爆を生き抜いた「明子さんのピアノ」を次世代に響かせたい!

被爆を生き抜いた「明子さんのピアノ」を次世代に響かせたい!
原爆投下76年を迎え、広島・長崎の被爆者の平均年齢は84歳に迫りました。被爆者が語れなくなる日が近づいている今、「明子さんのピアノ」という被爆を生き抜いた楽器とともに、「核なき世界」の大切さを次世代に伝えていきます。

▼「明子さんのピアノ」について

「明子さんのピアノ」は、米国ロサンゼルスで生まれた河本明子さんが愛用していたピアノです。1933年に両親と共に広島に渡った明子さんは、1945年8月6日に建物疎開作業中に被爆し、翌7日、19歳で亡くなりました。爆風によりガラス破片で傷ついたピアノはしばらくそのままに。ピアノは後に修復され、2005年の被爆60周年のコンサートで演奏されました。それ以来、一般社団法人HOPEプロジェクト(二口とみゑ代表)がこのピアノを維持し、昨年より、広島平和記念公園レストハウスに所蔵されています。
おりづるブログでの紹介
明子さんの被爆ピアノHP

▼ピースボートと「明子さんのピアノ」
ピースボートは2008年から、広島・長崎の被爆者の方々と世界各地を訪れ証言を伝える「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」(通称:おりづるプロジェクト)を行ってきました。これまでに60以上の国と地域を訪れ、参加した被爆者の数は170人を超えています。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が始まってからは、オンラインによる証言会に切り替え、すでに26カ国以上で証言会を開催しています。
ピースボートおりづるブログ 証言会レポート

2019年夏、ピースボートはHOPEプロジェクトの協力を得て、「平和と音楽の船旅~明子さんの被爆ピアノとともに」を行いました。広島から「明子さんのピアノ」、同じく広島で被爆した「パルチコフさんのバイオリン」(パルチコフさんのバイオリンについて)を船に乗せ、寄港地9回、洋上4回のコンサートを行い、2,000人以上の方にその音色を届けました。
2019年夏 平和と音楽の船旅~明子さんの被爆ピアノとともに

船旅ののち、「明子さんのピアノ」はレストハウスに所蔵されるようになりました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大のため、多くの修学旅行がキャンセルとなり、子どもたちが直接広島を訪ねる機会は大幅に減ってしまいました。また、95年の歴史を持つ「明子さんのピアノ」は老朽化が進み、維持するには一層の配慮が必要です。これから「明子さんのピアノ」を次世代につないでいくためには、さまざまな工夫や努力が必要になっています。
丁寧にメンテナンスする調律師の坂井原 浩さん丁寧にメンテナンスをする調律師の坂井原 浩さんピースボートは創設以来38年間、国際交流NGOとして、人と人とをつなげる活動を行ってきました。被爆を生き抜いた「明子さんのピアノ」は、これからもっともっと奏で継がれ、活用されていく必要があると考えます。とりわけ、オンラインも駆使しながら、広島だけでなく、全国、全世界の多くの人がこのピアノの音色に触れる機会を作っていきたいと思います。そして、明子さんと出会う人の輪を大きく広げていく活動に取り組んでいきたいと考えています。

▼オンライン配信を通じて伝える:
「奏で継ぐヒロシマ~被爆を生き抜いた2つの楽器~」
奏で継ぐヒロシマ オンラインイベント案内

赤ちゃんのころの明子さんと「明子さんのピアノ」 広島女学院に所蔵されたバイオリンとセルゲイ・パルチコフさんそのための最初の取り組みとして、今年8月6日、オンライン・イベント「奏で継ぐヒロシマ~被爆を生き抜いた2つの楽器~」と、その感想文コンクールを行います。広島平和記念公園レストハウスから、「明子さんのピアノ」と「パルチコフさんのバイオリン」のお話と共演を配信します。それぞれの楽器を、広島にゆかりのあるお二人の演奏家、三原有紀さん(ピアノ)と坂直さん(バイオリン)が奏で継ぎます。
三原有紀