あなたに、今すぐ故郷を捨て、家族と離れ、「難民」になる選択肢しかないとしたら、その事実を受け入れられるでしょうか?
それが今、世界で8000万人の身に起きていることです。
私は今年の4月、単身で日本から中東のヨルダンに移り住みました。
※プロジェクト実施中は一時帰国をしています。
シリアやイラク、パレスチナ、イスラエルという政情不安定な国に囲まれたヨルダンは、昔から隣国から逃げてくる難民を受け入れて来ました。
今から10年前に始まったシリアの紛争では、国内人口の半数に及ぶ1200万人が国内外で避難生活を余儀なくされ、ヨルダンにも着の身着のまま徒歩で逃げてきた人が100万人近く住んでいます。
「夫を紛争で亡くしてから、このままシリアにいることはできないと思いました。」
「私達には飛行機に乗るお金がなかったので、一番近いヨルダンへ家族みんなで逃げてきました。」
「ここでは働くことができず、頼れる知り合いもいないので、どう生活を送ればいいかわかりません。」
「時々、シリアに戻った方がいいのでは、と考えることもありますが、小さな子供のことを考えると簡単には戻れません。将来がとても不安です。」
私がシリア難民の女性から聞いた話は、難民として逃げてきたほとんどの人にあてはまる話です。
難民の人に少しでもこの国で生きる希望を持ってほしい。
そう思った私は、シリア難民に仕事をつくるために「オリーブの木製食器を製造・販売する事業」を始めることに決めました。
ギャルだった私が、フランスで見た経済格差
ところで、昔から社会問題なんてたいそうなことを考えていたわけではありません。
高校生の私は、ろくに授業も受けず金髪でダンスをやる、いわゆるギャルと分類される人でした。
ちなみに当時の夢は「金持ち」です。
左が16歳の私です
高校2年生のとき、元々海外が好きだったことから留学に応募し、フランスの高校で一年間過ごす機会をもらいました。
フランスを選んだ理由は単純に、”金髪のかっこいい人たちがたくさんいそうだから”。
フランスのホストファミリー
そんなシンプルなイメージだけを胸に渡航したのですが、実際に現地の高校に通い始めてみると、アルジェリアなどの北アフリカからの移民の子供たちが多くいることを知りました。
また、パリの街中では民族衣装を身につけたアフリカ移民の人たちを見かけることも多く、フランスは「金髪のかっこいい人たち」だけの国ではないということを知りました。
そして移民の人たちが多く住む地区は、建物の窓が割れ落書きがされていたり、若者が道でタバコを吸っていたり、見るからに他の地区とは様子が異なりました。
その様子を見たとき、先進国だと思っていたフランスのイメージが崩れ、移民というだけで元々のフランス人との間に経済格差が生まれていることにショックを受けました。
なんで人種によって不平等が生まれるの?
フランスという先進国でもこんな状況であれば、世界にはもっと大きな不平等があるのでは…?
ギャルだった私が見ていた世界はものすごく狭かったと気付かされました。
世界にはもっと私にできることがあるのかも知れない、そう思いました。
忘れられなかった、彼女の瞳
他にも、このフランス留学では初めてイスラム教の友達ができ、彼女たちの両親の出身国であるアルジェリアやモロッコの話を聞くうちに、アラブ圏への興味が増していきました。
鮮やかに彩られたモザイク模様の建築物や、地球の広大さを感じる砂漠。
大学生になってもなお、「どうしても中東に行き