たい」という思いが消えず、夏休みを利用して渡航しようと決心し外務省のページを開くと、安全の観点から湾岸諸国以外で行ける国はなんと「ヨルダン」だけでした。
ヨルダンについては何のイメージも持っておらず、勢いだけで渡航しました。(笑)
2015年当時、ヨルダンはシリア難民の流入で大混乱の渦中にありました。
そんな中、難民のために熱心に活動する日本の人たちと共に、世界最大のシリア難民キャンプや首都アンマンに住む難民の家へ一緒に訪問しました。
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「私の目の前で弟を殺されました。」
「これが政府軍に爆破された家です。」
難民の人たちが語るシリアでの経験は、絶句するような話ばかりでした。
もうここではやっていけない、そう感じ故郷を捨てる覚悟を決めたそうです。
安全を求めてやってきたヨルダンですが、シリア人の自由は大幅に制限されていました。
就労許可を与えられる人はごく一部で、許可があっても建築現場やガードマンなどの業種に限られていました。
私が訪問した家庭も例外ではなく、男性も女性も仕事につくことができませんでした。
3つの家族が一緒に住み、育ち盛りの子供が11人もいましたが、1ヵ月の収入は国連から支給される数千円の支援金のみでした。
足りない分は、シリアから持ってきた装飾品を換金して生活費にあてていました。
家賃だけでもひと月に1万円はかかるので、このままだとお金が足りずに生活が難しくなります。
紛争により心の傷を負っているのに、逃げた先でも苦しい生活を余儀なくされ、いつまでこの生活を送ればいいのかも予想がつきません。
「この厳しい毎日がいつまで続くのかと思うと不安でしょうがないです。もう、どうすればいいかわかりません。」
そう語るある一人の女性の目には将来に対する絶望が浮かんでいました。
私には、彼女の瞳がずっと忘れらませんでした。
人生をかけて、私ができることをやろう
フランスやヨルダンでの経験を通して私はものすごく恵まれていると感じました。
私には支えてくれる家族も友達もいて、好きなことにチャレンジさせてくれる経済的余裕も機会もあった。
難民が多く住むヨルダンの首都・アンマンの街そんな私と比べて、偶然そこに生まれただけなのに「難民」となることはあまりにも理不尽だと思うのです。
私ができることは限られている。
でも、たった少しでも、難民の人たちの幸せにつながるのであれば、人生をかけて取り組む価値があると思えました。
こうして私は、大好きなヨルダンの街で難民のために活動することを決めました。
働くことで、経済的にも精神的にも豊かに
さて、こんなちっぽけな私がどうやって力になれるのか…
そんな時に出会ったのがビジネスで社会問題に取り組む、ソーシャルビジネスでした。
まずはソーシャルビジネスの先駆け、株式会社ボーダレスジャパンに新卒で入社し、新規事業立ち上げ直後の事業を形作っていく過程を経験させてもらいました。
その中でも、パソコンのリサイクル事業を通して国内の難民に雇用を生むピープルポート株式会社にて、実際に難民の人と働いた2年間は、私の中で「働く」意味を改めて考える機会になりました。
「私は会社がものすごく好きだし、ここに来てから生活が楽しくなった」
「いつか自分の国に帰った時に、母国の女性たちを雇用して自分で事業を始めたい」
そんな言葉を一緒に働く仲間から聞いた時、私がやっていることはたとえ一人、二人だとしても、人に希望を与えられる思えました。
働くことは経済的な余裕ができるのはもちろん、自信を取