るという楽しみも1つ増えました。しかしテレビゲームは時間を決められていましたし、順番が来るまでプレイできないなど退屈する時間もありました。ゲームができない日は何をする、、、「そうだ!ドラゴンクエストごっこしよう!」町のスポットは見当たらないけど冒険の旅に最適な自然豊かなフィールドはありました。「石はゴールド・木の枝は剣・よもぎは薬草」支度を万全にして、いざ山に登って冒険の旅へ。参加者みんなが一人のプレイヤー”ドキドキ・ワクワクするような時間”。途中で遭遇する大きな木はモンスター、そして拓けた場所に基地を作り装備を整える。身近にいる虫を捕まえたり、秘密基地作りに没頭したりとドラゴンクエストごっこから脱線して遊びが代わってしまう事もありましたが、私たちの遊びを誰からも否定される事なく、日が沈む前まで夢中で楽しみました。あれから35年以上も経過しましたが、その当時の経験は今でも心に残っていますし、今の私をつくっていると思います。
―サラリーマン時代に「子どもたちと触れ合う仕事がしたい」と思うように
私は(僕は)就職氷河期と呼ばれる時代に「就職さえ出来ればどこにでも」という安易な気持ちで就職活動を行い、とある教育出版会社に入社する事ができました。主な業務内容は未就学児を対象とした知育玩具や出版物の販売です。対象宅のご家庭に訪問し商品を紹介する中で、子ども達が直接手に取って遊ぶ姿もあり、商品を通して子ども達と触れ合う機会もありました。しかしいつもそうではありません。留守であったり、タイミングが合わず玄関先で断られたり10軒訪問して1軒、商品説明を聞いてもらえるかどうか、まして子ども達と直接触れ合えるのはそれより低い確率。飛び込み営業を重ねていくうちに、いつしか商品の説明よりも、子ども達と触れ合って遊びたいという気持ちが急増。私が幼少期に体験したような”ドキドキ・ワクワクするようなあそびを子ども達に”と願うようになり保育士を目指す事を決めました。
― 念願だった保育士という仕事の中で生まれた喜びや疑問
脱サラ後に資格取得までの道のり、そして就職し保育士としてのキャリアスタート。周りの保育士と比べては遅咲きとなりましたが、子ども達にとってそんな事はお構いなし。その当時3歳だったクラスの子ども達と流行りのヒーローごっこを楽しみ、ごっこ遊びや運動あそびなど、子ども達も私も体力を余す事なく夢中になり保育士としての喜びを感じていました。催し物である運動会や発表会は利用者にとっても大きなイベントであり、たくさんの人達の前で、子ども達が一生懸命に演技やお遊戯を行う中で成長していく姿、利用者からの「成長した姿が見えた」「良かった」という言葉に保育士しての私自信に勇気づけられました。しかし、私自信の勇気づけられた部分の裏側に不安もありました。それは「すべての子ども達が勇気づくようなドキドキ・ワクワク体験になっていたかどうか」「大人だけが満足していたのではないか」という事。子ども達が人前で演技やお遊戯を披露する事を目標とするのではなく、身近な大人が自分の立てた目標に向かって一生懸命に努力する姿、精一杯に楽しんでいる姿に憧れ「同じようにやってみたい」と思う気持ちを育む事と、その雰囲気に心動かされ「大人も子どももドキドキ・ワクワク体験ができないだろうか」と考え始めました。
― 眠っていたドキドキ・ワクワク体験プロジェクト立ち上げ
保育士として勤務して11年が経った頃、一つの節目を迎えました。いろいろなタイミングやご縁が重なり独立して”みいろ”という小さな保育園を構