弘子さんの住まいのある美浜町早瀬は、かつて「早瀬浦(はやせうら)」と呼ばれていた若狭湾の海辺の村で、三方五湖(みかたごこ)のひとつである久々子湖(くぐしこ)の湖口に位置する、まるで箱庭のような小さな集落です。かつては大型定置網漁も行われていた有数な漁村で、浜では魚の干物作りが広がる風景が昭和の中頃まで見られていました。そういう漁村の風景を渡辺弘子さんは作品に残しています。
⬆️瑞林寺の墓地から眺めた早瀬の町並みと久々子湖
■ワカメ干し 1999年(41×52.5cm)
■イワシの干物 1991年(1匹:2.5~3.0×12cm)
■するめいか 1991年(63×92cm)
■太刀魚 1991年(104×53cm)全体/部分
商工業の港町・行商人の村だった早瀬
美浜町早瀬は、漁業の中心地でありながら、江戸時代の後期からは脱穀用の農具である「千歯扱き(せんばこき)」の生産地として発展するなど、商工業の港町としても発展しました。北前船(きたまえぶね)も寄港し、たくさんの漁船や人も行き交い、料亭、旅館などが立ち並び、造り酒屋もあったそうです。華やかな芸能や神事などが盛んで、漁村というより「商家町」の面影がある特異な集落でした。そういう独特の暮らしの文化も渡辺弘子さんは作品にしました。
⬆️布絵ギャラリー予定地の隣にある、享保3年創業の三宅彦右衛門酒造
■三番叟(さんばそう) 1994年(107×121cm)
⬆️山車の上で演じられる早瀬の子供歌舞伎、寿式三番叟(写真提供:美浜町)江戸時代にコレラが流行し、これを鎮めるために区内の寺社に子供歌舞伎を奉納したのが始まりといわれています
■北前船(きたまえぶね) 1993年(132×138cm)全体/部分
■日向(ひるが)水中綱引き1994年(105×100cm)
⬆️若狭湾と続いている日向湖は漁師の船だまりとして利用され、独特の趣があります
⬆️美浜町日向では、毎年1月に江戸時代初期から続くという勇壮な神事「水中綱引き」が行われます。大漁や無病を祈願して若者が太鼓橋から運河に飛び込んで東西に別れ、いち早く綱を切ることを競い合います。(写真提供:美浜町)
家族や近所の方の思い出が染み込んだ「古布」で制作
渡辺弘子さんの作品は、故郷である福井県美浜町の昔ながらの暮らしが題材で、家族や近所の方などの思い出が染み込んだ「古布(こふ)」で制作しています。古布には、それを用いてきた方達の物語があり、渡辺弘子さんの手により、故郷の祭り、神事、郷土料理、四季折々の暮らしの作品となり蘇ります。新しい命が吹き込まれた作品は、見る人に話しかけ、会話を始めるのです。
■鯖寿し 1994年(65×53cm)
■へしこ押し 2006年(92×72cm)
⬆️かつて若狭では鯖が大漁に獲れ、鯖を糠漬けにした「へしこ」が保存食として多くの家で漬けられていました。今も個人で作られる方もいますが、多くは魚屋か専門業者などで作られています。
⬆️若狭地方は鯖寿司、へしこ、浜焼き鯖など、鯖文化が発達した土地で、京都に塩をした鯖が大量に運ばれました。中でも美浜町はへしこづくりが盛んで「へしこの里」として、全国的にも有名になっています。
国境や文化の壁を超え子供も大人の楽しめる作風
渡辺弘子さんの作品は、アート性やデザイン性を追求した作品ではなく、子供からお年寄りまでが楽しめる、わかりやすい作風が特徴です。素朴で味わい深い作品に、展覧会では国境や文化の壁を超えて、子供も大人も布絵と楽しそうに会話している姿がよく見かけ