幸せをキッチンカーに乗せてあなたの街に

幸せをキッチンカーに乗せてあなたの街に
【シン中華RON】オープン7年目の新たな挑戦!!昼の店内ランチと夕方からのテイクアウト専門店が福岡の街(博多・天神・百道浜)をシン中華料理をキッチンカーに乗せランチタイムのオフィスに幸せをお届けします。激辛系・癒し系・ガッツリ系あり!!キッチンカーを皮切りに全く新しいビジネスモデルを立ち上げます。

はじめに・ご挨拶

1966年福岡県田川郡のド田舎に生まれる
1976年 10歳の時 小学校が休みで母に今日のご飯 何? と聞くと 母『ご飯は、あそこに生っている!』と、母の 指した指先の柿を見て人生初の挫折・・・
1685年(19歳) 博多の某有名居酒屋に就職
1992年(26歳) 支店の10坪程の店長になる 博多駅の立ち飲みであったが月商700万(月1坪30万で繁盛店 1坪60万でモンスター繁盛店)を達成 のちの5年間 継続(結構、自慢)
1996年(30歳) 熊本にて【月下厨房 酒菜亭】開店 独立
2003年(37歳) 自分の才能に調子に乗り過ぎ あっけなく挫折 前嫁 自分の作った会社 全財産 全てを失う←自業自得
2003年~2005年(40歳) 今の俺は無力だが無能では無いと思い ながら、イジケ中・・・
2005年 これでは、いかんと一面発起 本職の他、仕事を3つ掛け持ちをし月10万円貯金5年で600万円 で、もう一度自分の店を出すと誓い 即行動!
2008年(42歳) 3つの仕事場の一つの店で現嫁と出会い東京に 引っ越しすると言う妻を無理やり説得 結婚 前店舗 【熱血厨房 海猿】開店
2014年(48歳) 50まで後2年だぜー! と考え 今まで誰もやってない店舗 新形態を模索 立案
2015年(48歳) 中華と炭焼き RONオープン(ランチは中華麺・飯 夕方からは中華と炭焼きのテイクアウト専門店)飲食店の二刀流に挑戦

2018年(51歳) 年齢の衰えを感じ炭火焼き終了 営業収益に大打撃を喰いながら シン中華RONと屋号変更

2020年(53歳) 結婚10年目で長男・龍之介を授かり 友人からは『お前は芸能人か!!』と、祝福される。

2021年(54歳) これからの飲食業は非接触型だあぁぁ!!と、キッチンカー事業開始予定。

そして未来 非接触型のビジネスモデルを完成させFC展開   

小学生になった息子をキッチンカーの乗せて全国に幸せを届ける

 
商品・お店が作られた背景

2020年の夏、熊本の友人が働いてる団体客をメインで営業しているお店がコロナ禍で大打撃を受けている事を知りました。友人はその店を辞める事も考えていたので私の店に誘ったのですがお子さんもまだ小さく熊本を離れられないとの事。友人も飲食業を25年程経験しているので起業も考えていたのですが。。。このコロナ禍、固定店舗開店には多額の費用がかかるし成功する確率も低い。

ふとその時20年前に買ったある本を思い出しました。

そうだ!キッチンカーはどうだろう!!友人に本の画像と中食の将来性を説明、そして改めてこの本を読みなおした時 私もキッチンカーをやりたくなりました。

コロナ禍で中々飲食店でランチを食べれない人に出来立ての中華弁当・丼をオフィスで食べて頂きたい!!

プロの料理人が作る情熱のこもった出来立て中華料理でお客様を幸せになっていただきたい!!!

最初は平日のビジネス街の販売ですが、いつか あなたの街に幸せを届けたい!!!!
私たちの商品・お店のこだわり

約10年前 福岡の街を妻と歩いているとちゃんぽんとエビメシの店の店を見つけました。『エビメシ?』その料理名が一発で気に入ってしまった私は妻に『エビメシ作って~』妻『エビメシって何?』私『分からん。。。』妻『また、アイデアだけで後は丸投げかい!!』

そして 塩餡ベースの天津飯風 エビメシが前店舗の人気メニューとして完成しました。

6年前、現在の店舗に移転後ランチタイムの担々麵とエビメシの2枚看板メニ