ロナウイルスの影響は大きく、収束の目途は未だたっていません。
私たちは皆様との再会を楽しみにして、感染防止対策を万全にした「薩摩おごじょ 新宿店」で、いつでもお待ちいたしております!
最後に
このお店の名前「薩摩おごじょ」とは、最初に言った通り鹿児島の女性(美人)という意味で、美人なだけでなく気立てが良く、優しい、芯が通ったしっかり者の女性を指した方言ですが、このお店の名前は、ある特攻隊員の方が、当時知覧高等女学校の生徒だった私の母に 「礼ちゃんがお店をやるなら、店の名前は「薩摩おごじょ」がいいよ」とおっしゃっていただいたのがきっかけです。
そのときのことは母が当時つけていた日記にも記しており、「富屋食堂」に足繁く通ってくださった特攻隊員の方が、将来、礼子が鳥濱トメのように飲食店を営むのであれば是非にと言ってつけてくださった大切な大切な名前で、礼子はその特攻隊員との約束を守ったのです。
在りし日の「富屋食堂」
知覧の特攻慰霊祭で祖母トメと母の礼子
母は晩年ガンを患っていましたが、平日は毎日お店に立ち、週末は知覧で語り部をするという過酷なスケジュールを繰り返しながら、どんなに辛くても無理をしてお店に立っていました。ついには、お店の入り口の階段を昇り降りできなくなるほど体が辛くなって、お店を休んでやっと病院で診てもらったときにはすでに手の施しようがありませんでした。亡くなる2か月ほど前のことです。私はその時、何としてでも母の想いを残さなくてはならない、特攻隊員の方々の想いを伝えていかなければならない、そう考えてお店を継ぐ覚悟を決めたのです。
あれから、14年が過ぎました。
何とか今までお店を続けてこられたのは、皆様の支えがあってこそです。
そして今、お店を続けられるかどうかの瀬戸際を迎えています。このまま新型コロナウイルスの猛威が収まらなければ、ご来店者様が以前のような人数に戻らなければ、いつ、お店を開けられなくなってしまうか予測も立ちません。しかし、やれるだけのことは精一杯やります!
祖母・鳥濱トメと母・礼子の想いを決して絶やしてはいけないと思っています。そして、ぜひ、皆様のお力をお貸しいただけませんか。ご支援頂いた皆様と一緒に、この大切なお店「薩摩おごじょ 新宿店」を護り続けていければと思います。
どうぞ、一人でも多くの皆様の想いとお力をご支援頂けますように心よりお願い申し上げます。
薩摩おごじょ新宿店二代目店主・赤羽潤と女将である妻の康予
知覧特攻の母鳥濱トメ・孫
薩摩おごじょ新宿店初代店主 赤羽礼子・次男
二代目店主 赤羽 潤
※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
※本プロジェクトは、CAMPFIREの新型コロナウィルスサポートプログラムを利用させていただいております。 機会を提供いただいたCAMPFIRE様に感謝いたします。