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【あしなが学生募金】感謝の気持ちを届けたい。そして、聞いてほしい。
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初めまして。あしなが学生募金事務局 関西エリア 滋賀県代表の荒井 菜乃香(あらい なのか)と申します。関西の大学に通う、大学2年生です。
あしなが学生募金事務局では、毎年春と秋の年2回、全国約200か所で一斉に街頭募金を行っています。年間約2億2000万円ものご寄付を集めており、その全額を「あしなが育英会」を通じて、病気・災害・自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、障がいなどにより親が働けない家庭の子どもたちへの奨学金や、アフリカの遺児たちの高等教育支援奨学金として使わせていただいております。
第99回 あしなが学生募金の様子(2019年10月 南海なんば駅にて)
あしなが学生募金は今年で50年目、春には第100回の募金が開催される予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で、春と秋の募金の両方が中止となりました。そのことにより、遺児学生の奨学金に支障が出るとともに、遺児の現状を社会に訴える機会、あしながさんに感謝を伝える機会さえも奪われてしまいました。
このページでは、あしなが学生募金事務局で活動する学生の1人として、社会に訴えたいこと、皆さんに伝えたいことを綴らせていただきます。
私の父は、私が小学5年生の時に脳梗塞で倒れました。
バレンタインの日、私が母と車で、友達の家にチョコレートを届けに向かっていたところに、父の職場から「父が倒れた」と連絡が入りました。その時の母の震えた声を今でも忘れることができません。
それから毎日、母は仕事を終えると父の病院へ向かい、夜遅くまで看病をしていました。私は学校が終わると祖母の家で過ごし、夜遅くに迎えに来た母と一緒に自分の家まで帰るという日々を過ごしていました。
父は幸い病状が落ち着いて退院し、リハビリテーションに通い始めました。父がリハビリから帰ってくる時間が16時。私が学校から帰ってくる時間と同じでした。私は友達と一緒に帰ることを嫌だと思うようになりました。障がいがある父の姿を見られ、「可哀想だ」、「あの子の家は他とは違う」と思われたくなかったからです。
私にとって父の病気のことは、他人に言えない秘密の話でした。しかし、そんな話を唯一打ち明けられることができる人がいました。保健室の先生です。保健室の先生は、いつでも私の話を真剣に聞いてくれ、背中を押してくれました。保健室の先生に悩みを打ち明けることで、少し気持ちが楽になり、私自身も明るくなったように感じます。
このような経験から、私は今、保健室の先生を目指し、大学に通っています。私もあの先生と同じように、誰かの支えになる先生になりたい、誰かにとって心のよりどころとなる場所を作りたいと思っています。
保健室の先生になるためには、やはり大学に進学し、資格を取り、専門的な知識を身に着けることが必要です。大学に進学したい。でも出来ない。そんな時に出会ったのがあしなが育英会です。育英会の奨学金のおかげで、私は希望する大学に進学することができました。
私は大学に通うことが出来ましたが、まだまだ経済的な理由で進学を諦めてしまう子どもが沢山います。そういう子どもたちにも、私たちと同じように夢を持ってほしい。夢を持っても良いのだということを知ってほしい。
家庭の環境に左右されず、自分らしく生きられるチャンスがあしながにはあります。皆さんにあしながを知ってもらうこと、皆さんの応援が私たち遺児の大きな力になります。私