った私のゼッケンを額に入れてプレゼントしてくれましたー
しかし26歳の時に体を壊し選手生命が終わり、警察官として現場復帰するまでの間色々悩んだ末に決断しました。もちろん警察官は、人の為に尽くすとても素晴らしい仕事です。今も警察官であった事誇りに思っています。
ただお客様は、(こんな事言っていいかわかりませんが)悪い奴か、その被害者、困った人達でした。
私が色々悩んだ時によく行くお店がありました。
もちろん当時私は、警察官です。
横にいるお客さんは、どんな人かわかりません。
悩んでいる人、楽しそうにしている人、ただただ酔っ払っている人、なかには、犯罪者もいたかもしれません。
ただそこにいるお客様が、そのお店を出る時の表情は、みんな喜んでいるのです。
店側の思い、接客、料理によりどんな人も喜んでいただける仕事。
飲食こそ人の為の仕事だと思いました。
27歳で警察を退職する時に決めた事があります。
26歳まで包丁を持った事も、飲食業の経験も無い私が作れる料理を確立する事と最初のお店の名前です。
夢国世喜(むこくせき)料理
と独立して最初のお店の名前を
夢国世喜屋
にする事です。
27歳で飲食の世界に入り、なんとか32歳で夢国世喜屋として鶴舞の高架下で独立して、色々ありましたが、何とかこの世界に入り昨年30年の節目を迎えることになり、コロナの話も全くない昨年初頭に、
もう一度57歳で
夢国世喜屋を会社として起こし、今までの良い事も悔しい思いをした事もあった30年間の経験を生かし
57歳から60歳までは
株式会社夢国世喜屋の先頭に立ってとにかく走ろう。
60歳から65歳の五年間は、
株式会社夢国世喜屋のみんなと共に確実に歩き進もうと決心しました。
しかし コロナのせいには、したくはありませんが
今 走る事が出来ません。
株式会社夢国世喜屋の理念。
Have a Dream Chase the Dream and Get the Dream
➖夢を持ち夢を追いその夢をつかむ➖
今、私達も含め世の中のみんなが喜ぶ夢の国を創る為には
今、頑張らねばと思っています。
どうか、これから進むべき道標を。
それに向かって私達を走らせてください。
世のみんなが喜ぶ夢の国の為に。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
感謝感謝です。 ありがとうございました。
株式会社夢国世喜屋 代表取締役 森澤倫久
今回のクラウドファンディングを始めるにあたり写真を提供して頂いたスパマキシマムさんあいざわけいこさんHotwaveのひろさん又アナログな私に色々教えていただいた方々に感謝申し上げます。
ありがとうございます。必ず夢を叶えますね。