都内唯一の完全放牧養豚!東京の離島:伊豆大島初!ブランド豚を誕生させたい!

都内唯一の完全放牧養豚!東京の離島:伊豆大島初!ブランド豚を誕生させたい!
生まれ故郷「伊豆大島」では、産業の衰退が深刻です。こうした現状を変えるべく、私は、これまで誰も実現したことのない伊豆大島初のブランド豚を誕生させるため、本プロジェクトを立ち上げました。大人になってから描いた夢への第一歩として、繁殖豚舎建設に向けてご支援をお願いいたします。

ご挨拶

こんにちは。私は東京の離島:伊豆大島(人口約7,400人)に暮らす小坂晃一(こさかこういち)と申します。いわゆるUターンで8年前に故郷へ帰ってきました。

生まれも育ちも伊豆大島。外の世界を知るため、高校卒業後に一度は島を離れ、遠洋漁業に携わっておりました。

社会人として経験を重ね、改めて外側から島を見たときに産業の衰退が深刻な現実を目にするとともに、漁業は地球温暖化などの影響により漁獲量は減少傾向で新たな生産業を考えるようになりました。

こうした気持ちの変化から、他の一次産業、特に島内ではほとんど担い手のいなかった畜産(養豚)に興味を抱くようになり、観光振興にも活かせる伊豆大島初のブランド豚を誕生させたいという決意に変わりました。

ここからは少し長くなってしまいますが、私の夢への挑戦を書かせていただきましたので、引き続きご覧いただけますと幸いです。

【交通事故で夢を果たせなかった悔しさ】

社会人になってから、高校の同級生と描いた夢「バイクで日本一周旅行」に出発したのですが、旅の途中で事故を起こし、大怪我をしてしまいました。それから1ヶ月間の記憶が全くない状態が続き、夢の途中で大島へ帰ることになりました。

実は、この旅で全国の養豚場を見て回ろうとワクワクな思いを巡らせていたので、それが1度も実現しないまま終わってしまったことで、心の中が悔しさでいっぱいになりました。

ちなみにですが、今は体調万全で身体もピンピンしているので、当時の悔しさをバネにして頑張れるだけの元気がたっぷりあります!

【実家の全焼から得たもの】

大島に戻ってケガから復活した矢先、今度は実家が全焼するという悪夢に見舞われました。

住む場所を失った私たち家族でしたが、父の仲間が一致団結して協力してくれたおかげで、現場検証が終わったその日の内に300㎡もの焼け跡は更地になり、半年後には家業(大工)の仕事場が完成していました。

泣きっ面に蜂状態でしたが、おかげさまで仲間の大切さや地元のつながりの強さ、助け合いの精神を強く感じました。

このときに、感謝の気持ちと一緒に「大島に貢献したい」という強い気持ちが生まれ、今回のプロジェクトの原動力となっています。

1度きりの人生ではなかなか経験できない大アクシデントに1年で2度も遭遇し、『漫画のプロローグみたいだなぁ。。。』とすら思える今日この頃です。

【ブランド豚と(有)黒豚振興エージェンシーとの出会い】

ブランド豚との出会いは偶然でした。ある日食べた豚肉がとても美味しく、それが鳥取のブランド豚「トトリコ豚」でした。気が付けば鳥取へ向かい、トトリコ豚販売店へアポなしで突撃している自分がいました。その後、ご縁が繋がり、販売会社の社長と連絡を取り合うようになりました。

また、独自に養豚の実習を経験しようと水戸市の農業実践学園で1週間、茨城の養豚農家でも約4ヶ月間、飼育管理や種付け方法を学び養豚の基本を身に付けました。

さらに、鳥取県が実施していたワーキングホリデー制度を利用して米子市に滞在し、トトリコ豚の生産農場を訪問、生産者の方との面談を重ねながら様々な勉強をさせていただきました。

トトリコ豚の特徴はスペインのイベリコ豚に倣ってドングリを飼料に用いているのが特徴で、その飼料の配合量をはじめ、約1ヶ月間様々な勉強をさせて頂きました。

さらに、NPO日本放牧養豚研究会理事の山下哲生さんを訪ね、山下さんが経営していた(有)黒豚振興エージェンシーで約8ヶ月間、種豚の飼育や選別方法、放牧の勉強等をさせてい