はじめまして。三重県出身、ミキハウス所属のプロテニスプレーヤー、西岡良仁です。現在、東京オリンピックを目指し、日々練習に励んでいます。例年、私は海外遠征が多く日本にいることは少ないのですが、コロナ禍の影響により、日本で過ごす時間も多くなりました。今では、プロとして活動を続けられていますが、ここまで至るまでの厳しさを何度も身をもって体験してきました。
この経験を活かし、コロナ禍でもプロを夢見る多くの若い選手たちへの手助けに少しでもなれればと、今回のプロジェクトを発足いたしました。実現へ向け、皆さんからの応援をお願いいたします。
私には、東京オリンピックという個人的な目標の他に、「テニスをもっと日本に広めたい!」という、もうひとつの大きな目標があります。
これを叶えるために、日本から世界で戦える次世代の選手が出てきてほしいと願っています。その第一歩として立ち上げたこのプロジェクトで、大会を通して私が最も選手たちに伝えたいことは、プロになるまでの過程に必要なことです。その答えに至ったのは、私自身も当時、プロになるためにどうすれば良いかということが全く分からない状況だったことがきっかけでした。
私は両親や兄の影響で4歳でテニスを始め、幼いころには松岡修造さんが講師を務める「修造チャレンジ」にも参加させていただいたことが人生の最初の転機となりました。
そこで、プロになるための厳しさ、グランドスラムで勝つことの難しさ、そしてテニスの素晴らしさを初めて学び、幼心にも強いインパクトを受けました。この経験がきっかけで、本格的にプロへの道を意識するようになりました。盛田テニスファンド様のご支援で錦織圭選手も通ったアメリカのテニスアカデミーへの留学を経て、2012年の全米ジュニアではシングルスとダブルスでベスト4という結果を収めることができました。
世界を相手に成績を残すことができ、2014年(18歳時)に念願のプロ転向。
私がプロになれたのも、修造チャレンジとの出会いがあり、その先に大会があったからこそなんです。「大会があったから」。これだけ言えば、当たり前のことだと思われてしまいますが、テニス選手がプロになるには、大きな大会で活躍しスポンサー契約を掴まなければいけません。さらに言えば、若い頃にいかに世界レベルの大会で結果を残すことができるかということがプロへ進めるかどうかの大きな分岐点になります。
そこに至るまでに、私はアメリカのテニスアカデミーへ留学することができ、世界トップレベルの環境で若い頃に基礎を作り、成長できたことが、現在の自分へと繋がっていると今は強く思っています。
そんな自らの経験で言えるのは、プロになるためには、本人の努力と同じくらい環境が重要な要素だということです。ですが今、その大事な環境がコロナによって失われてしまっています。この状況を微力ながら独自大会という形で手助けしたい。未来の日本を背負う金の卵たちを放っておくことは、どうしてもできません!
私がプロになったのは18歳の時で、中学生の頃に、本格的に世界に目を向け始めました。国内では優勝もしていましたが、海外に行けば、自分よりも強い選手が大勢いました。その中に、同学年で何度対戦しても一度も勝てない相手がいたんです。そういう相手が自分にとっての目標になり、勝つことがプロへの大事なプロセスとなりました。そういった経験から、大会を通して、いかに目標とな