6都市を弾丸ツアーで移動しながらの映画撮影でした。撮影したのはすべて早朝と深夜のみ。総距離は 34,236 マイル 55,097km にあたります。55,097km は地球をぐるっと約 1.3 周分です。
撮影ロケのスタイルは各都市に一週間程度滞在をして、早朝の5時〜8時、 深夜の24時〜26時に撮影現場に向かう、という工程を繰り返していきました。撮影期間中はまさに昼夜が逆転した日々でした。
台北では、主に深夜のフィッシュマーケットや、家族経営の食堂で撮影を実施しました。松浦監督は現地の人たちやコーディネーターと言葉を交わし、交流を深めつつ、どのようなポイントを撮影すれば良いか、という微妙なニュアンスを、撮影の七咲友梨さんに伝えている姿がとても印象的でした。
(△撮影場所の一都市、台北でのロケ風景)
(△撮影場所の一都市、サンフランシスコにて)
■聴く映画とは?
今回、映画本編の朗読を小林賢太郎さんに担当いただいています。本作において朗読はとても重要な要素になっています。旅人の語りがポイントであるからです。
そして主題歌はアン・サリーさんの名曲中の名曲「あたらしい朝」を使用させていただきました。
世界の街の片隅のかすかなノイズからこぼれる、小さな物語たち。映画のサウンドを聴くだけで、旅の情景が浮かんできて、旅に出ている気分に浸れる味わいのある“聴く映画”に仕上がりました。
<松浦弥太郎監督の言葉>
「ただいま」と言うと、
「どうだった? 旅」と聞かれる。
「うん、よかったよ」と答えるけれど、
何がよかったのかを話すのはむつかしい。
家族や友に、あの日あのときあの場所のひとときを話したいけれど、
よかったこととは、目の前で起きたことではなく、
僕の心のなかで起きた、静かな安らぎや、ほんのささやかな喜び、
やわらかくしなやかな気分とか、
そして、すべてへの感謝といういのちの灯火、
心地よい風に包まれたほんとうの自由、というような。
僕の旅は、そういうなんと言ったらよいか、
予定をつくらず、ただちがった街へゆく、
何をしにでもなく、何のためでもない、
ちがった街のちがった一日のなかにいるだけのしあわせ。
忘れていたひとりの自分に出会うために歩く、
まるで「針のない時計」のような旅だと思う。
そんな旅を伝えたくて、いつものように文章や言葉ではなく、
映画という、僕にとって新しい手段で作ってみようと思いました。
あなたと一緒に歩いているかのように。
旅の終わりの早朝、
その街のいちばん高いところへゆき、
遠くかなたにいるあなたへ大きく手を振る僕なのです。
<朗読:小林賢太郎さんの言葉>
こんなふうに世界を旅すれば、不安や怖さを感じることもあるはず。けれどこの映画には、常に変わらない安心感がある。
それはきっと、松浦監督の視点の軸が、自分じゃなくて相手にあるからだと思った。この安心感をそのまま観る人に手渡す。
そんな気持ちで、声を添えさせてもらいました。
<主題歌『あたらしい朝』アン・サリーさんの言葉>
予定を決めず気の向くまま流れに身を任せる旅。
大人の身動き取りづらさに加え、さらにコロナの世界になったことで、 自由に旅することは夢のようにさえ想える。
そんな今