この道60年。魚のプロが「魚のまち門川」を蘇らせる

この道60年。魚のプロが「魚のまち門川」を蘇らせる
宮崎県「魚のまち門川」の魚を60年間販売してきましたが、コロナ禍の影響を受けて魚の販売所と食堂の閉鎖に追い込まれました。72歳の今、地元門川に戻ってゼロからのスタートを切ったものの、かつての活気を失った門川漁港と不足する資金の中で悪戦苦闘しています。なんとか事業を立て直し、魚のまち門川を蘇らせたい!

はじめに・ご挨拶

 私が生まれ育ち、今も暮らしている宮崎県門川町は門川漁港を有し「魚のまち門川(かどがわ)」と呼ばれています。門川漁港は、かつて宮崎県内で有数の漁獲量を誇り、日本全国にもその名を轟かせていました。全盛期の門川漁港は魚の流通量も桁違いで、私の実家も門川町で唯一の魚屋を経営し成功を収めていました。そんな魚のまちで生まれ育ち、幼い頃から魚文化に触れ、加工や配達も日々喜んでお手伝いをするような幼少時代を過ごし、現在に至るまで60年間魚の仕入れと販売を生業にし続けています。

 魚を扱う才覚を周囲から認められ、26年前に家業の魚屋を兄に譲り独立してマルケイ水産を立ち上げたことを契機に、宮崎県の県庁所在地である宮崎市内に乗り込み鮮魚販売の店舗を構えました。自宅のある門川町から往復200kmを毎日美味しい魚を届けるために一日も休まずにトラックで走り抜いてきました。その努力が実り、一般のお客を始め飲食店や魚屋でマルケイ水産で取り扱う魚は新鮮で美味しいと評判となり、門川から運んできた魚を店頭に並べる間もなくお客さんが奪いあうように買っていく商売をさせていただいてきました。お客さんの笑顔を見ると不思議と苦労を苦労として感じませんでした。

 その後、新鮮な魚を直接食べていただきたいという想いから門川町の隣町の日向市でマルケイ食堂の経営を始めました。
 しかし、新型コロナ禍での外出自粛などの影響をうけ、魚を卸していた飲食店などが不振に陥ったり、購買客や来客が減少したことで、マルケイ水産とマルケイ食堂の経営が窮地に陥り、苦渋の決断でしたが昨年2020年にこの二つの店舗を閉店せざるを得なくなりました。

 しかし、私はここで諦める男ではありません!
このプロジェクトをやろうと思った理由

 生まれ育った地元門川町で4年前に経営不振で閉鎖していた門川漁協が保有する元うみすずめ(レストラン兼販売所)を格安で借りることができました。この施設は、漁港の目の前で魚の直売所と食堂が隣り合わせという願ったり叶ったりの立地、環境、設備を有しており、72歳になった今、この施設を舞台にしてこれまでに培ってきた魚の専門性をフル活用してゼロから再出発することを決意しました。

 新型コロナ禍の影響で急激に悪化した元店舗の事業赤字を補填するため奮闘しながらも、門川漁港に2020年12月に地魚直売所を開店、2021年5月には海鮮食堂をオープンしました。
 なんとかオープンに漕ぎ着けたものの、現在の門川漁港はかつての賑わい失っており、この地で商売をすることの難しさを痛感しました。それでも、時間をかけていけばこれまでの評判と信頼をもとに絶対に事業を軌道に乗せることができる。しかし、閉鎖した二つの店舗の赤字を補填したために資金に余裕がなくなり現在のお店を回していくための運転資金がまったくありません。
このプロジェクトで実現したいこと

 このプロジェクトを通じてまずは自身の事業基盤を急速に立て直したい。そうすればマルケイ水産、マルケイ食堂が門川の地に戻ってきたことを聞きつけたお客さんが来てくれる。これだけでは終わりません。この道60年魚のプロフェッショナルとして生きてきたこの黒木和雄が地元門川に帰ってきたからには、かつて魚で賑わっていた「魚のまち門川」をなんとしても復活させ元気にしたい!そして、たくさんの方に門川漁港を知ってもらい実際に足を運んでもらって、自ら選んだ旬の新鮮で活きのいい地魚を食べてもらいたいのです。そうしていくなかで、魚の流通量を増やし衰退した市場を活性化させ、漁師をは

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