はじめに・ご挨拶
Microfarm&Brew合同会社の椎木です。
私は、1990年代、クラフトビールが、規制緩和になる前から、日本にクラフトビールを実現するための活動を行っていました。当時は、米国では、マイクロブルワリー、ブルーパブという名称で、クラフトビールが、流行しつつありました。自家醸造が、法的に認められ、手作りビールが、地域コミュニティで、ありふれた風景になりつつある時代でした。日本の新規ビジネスは、当時、米国の10年遅れといわれている頃で、米国のクラフトビールの流れは、1990年代には、日本に上陸していなければいけないと確信し、マスコミ、行政や政界に働きかけ、クラフトビールビジネスの実現に奔走しておりました。規制緩和の実現アナウンスがあった1993年まで、約2年間は、不毛な活動に思えました。その間、企業を集めたマイクロブルワリービジネスに関するセミナーや国内に小型ブルワリー装置を持ち込んでノンアルコールビールの製造などを行い,その時を地道に待つ日々を送っていたものです。ビール製造に関する規制緩和は、自民党政権が、倒れ、細川政権が誕生した際の経済活性化策の一つとして、突然発表されたもので、突然感がありました。当時、水面下で、色々な動きがあったとはいえ、世論の大きな盛り上がりがあったわけではなく、何か庶民受けしそうな玉を探しており、その玉にある程度ふさわしいものと認識されていたものと思われました。また、日本酒業界は、長期低落傾向にあり、彼らを救う手立てとして、この規制緩和を決断したものと推測できました。また、この規制緩和がなされたとしても、大手ビールメーカーにとって痛くもかゆくもないであろうことも決断した一因と思われました。
規制緩和の発表後は、どこが、一番に製品を出すかを競っていたものです。私も、その渦中で、数件の仕事の依頼を受け、ビールの製造免許取得やブルワリー装置の選定などで、国内外を飛び回っておりました。数年間は、日本全国で、「地ビール」といわれるビジネスが、多く起業されていきました。しかし、その地ビールビジネスは、その後、長い低迷期を迎え、その復活は、2010年以降まで、待たなければなりませんでした。
私自身も、埼玉で、小さな発泡酒工場を設立し、ビジネスを継続しておりましたが、海外で、大型の蒸留酒工場を設立する仕事があり、日本を離れることになり、それ以来、このクラフトビール業界から、10年以上、離れることとなりました。とはいえ、このクラフトビール業界のことは、常に横目で見ながら、チャンスやきっかけを探しておりました。
昨年、勤務先の定年退職を迎え、さて、これからと考えたときに、このコロナ禍で思い浮かんだのが、農業に関するビジネスとノンアルコールのグルメ飲料というアイデアでした。農業に関しては、クラフトビールをはじめとする酒業界を離れている10年間は、農業に関わる仕事をしており、起業のアイデアがありました。グルメビールに関しては、痛風に苦しむ私が、アルコールが入っていなくて、味わいのある旨い飲料ができないかという思いをこの度実現しようとしたものです。
この度、クラウドファンディングをするに至ったのは、旨いグルメ飲料の開発とこの製品をより多くの人に知ってもらい、ご賞味いただくためのマーケティングには、資金が必要だということが実感できたからです。
4月に創業以来、これまで、果汁果肉の入ったフルーツ風味のノンアルコールビールを製造しましたが、まだ、改善したいところがあることや、まだ、採用したいフルーツも多く残されておりま