Farm – Beans – Bar

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フィリピンの農民の皆さんから日本の方々そして世界へ、フィリピン産カカオ豆とコーヒー豆の「OISHI」「SMILE」をお届けしたい。コロナ禍でフィリピン農家の支援プロジェクトです。

About me

フィリピンの農民の皆さんから日本の方々そして世界へ、フィリピン産カカオ豆とコーヒー豆

の「OISHI」「SMILE」をお届けしたい。

日本の皆さん初めまして、ブンガイミッキーと申します。

フィリピンから現在日本に在住してます。

大学卒業後、日本で4年ほどお仕事をさせていただきました。

そのあとはフィリピンに戻りフィリピンと日本で何かできないかと色々な事にチャレンジをしました。

現在はフィリピンでコンサルティングの会社の代表をさせていただいております。

主にフィリピンに進出する日本の方々のコンサルティングまたは進出の準備などのお手伝いをしてます。

その傍らでフィリピンのコーヒー豆とカカオ豆を日本に広めるための準備をしております。

現在すでに農家の方々と手を組み弊社の独自ブランド「bonifacio」というブランド名で日本への販売またお店での提供を行っていきます。
History

フィリピンでは、コーヒーはその風味と同じくらい豊かな歴史があります。

最初のコーヒーの木は、1740年に2人のフランシスコ会の兄弟によってバタンガスのリパに導入されました。

そこでは、マカサエト家の一部として特定された2人のフィリピン人が、リベリカの苗木を植えて繁殖させました。

そこから、コーヒーの栽培は、アイバーン、レメリー、サンノゼ、タール、タナウアンなどのバタンガスの他の地域に広がりました。バタンガスはその富の多くをこれらの地域のコーヒー農園に負っていて、リパは最終的にフィリピンのコーヒーの生産の中心地になりました。

1880年、フィリピンはコーヒー豆の4番目に大きな輸出国であり、Coffee Rust病がブラジル、アフリカ、ジャワを襲ったとき、フィリピンは世界で唯一のコーヒー豆の供給源になりました。

1950年代、フィリピン政府はアメリカ人の助けを借りて、より耐性のある種類のコーヒーを持ち込みました。インスタントコーヒーが商業的に生産されていたのもその時であり、それにより豆の需要が増加しました。良好な市況のため、多くの農家は1960年代にコーヒーの栽培に戻りました。

しかし、コーヒー農園の突然の急増により、世界中で豆が余剰になり、地元のコーヒー生産者を保護するために、しばらくの間、コーヒーの輸入が禁止されました。 1970年代にブラジルが霜に見舞われたとき、世界市場のコーヒー価格は高騰しました。フィリピンは1980年に国際コーヒー機関(ICO)のメンバーになりました。

日本ではあまり馴染みのないフィリピン産のコーヒー豆ですが、このプロジェクトを通じて日本中にフィリピン産コーヒー豆をお届けできたらフィリピン人の私だけでなく、多くのフィリピン人農家も大変喜ばれると思います。

”日本の皆様に最高のフィリピン産コーヒー豆をお届けします”
Why Coffee & Cacao

コンサルティング業をやっていく中で私は、

2019年の10月頃にフィリピンでフィリピンのコーヒー豆を探してる2人の日本人と出会いました。

フィリピンのコーヒー豆を専門でやってるコーヒーファームやコーヒーショップ、カフェなどに案内をし試飲などもしました。

試飲中にフィリピンのコーヒー豆を飲んで喜ぶ2人の笑顔を私は忘れません。

フィリピンのコーヒー豆をこんなに喜んでいただけるのはフィリピン人の私にとってはとても光栄な事です。

フィリピンの味わい深いコーヒー豆とカカオ豆を日本中の皆様にお届けして笑顔を作りたいです。

フィリピンのコーヒー