創業40年、福岡で初めてのベトナム料理店の母の味を守りたい

創業40年、福岡で初めてのベトナム料理店の母の味を守りたい
難民として日本にたどりつき、福岡で初めてのベトナム料理店として40年、ご愛顧いただき本当にありがとうございます。しかし、新型コロナウイルスの影響により売上が激減しています。母から受け継いだ味を途絶えさせたくない想いから、ネットショップへの販路開拓とPRを目的としてクラウドファンディングに挑戦します

ご挨拶

こんにちは、ベトナム料理シンチャオのオサムです。
ベトナム戦争の折、難民として日本にきました。

当時はベトナム料理が珍しい中、福岡で初めてのベトナム料理店ということもあり40年間やってこれたのは、ひとえに皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
今回のコロナウイルス感染拡大の影響により売上が激減し、一度はお店を閉めることも考えました。しかしながら、今もお店があるのは様子を見に来ていただいたり、温かい言葉をかけてくださる皆様のおかげです。

コロナ渦で皆様大変な状況にあるにもかかわらず、皆様の優しい心にふれ、このままではいけない!もう一度経営を立て直し、両親から受け継いだ伝統のベトナムの味を守っていこうと決意しました。

しかしながら、4度目の緊急事態宣言、蔓延防止措置で苦しい営業状況が続いています。

そのような時に友人からCAMPFIREさんのクラウドファンディングを教えていただきました。クラウドファンディングという言葉を初めて聞き、わからないことばかりで手探りで始めたのですが、お店や従業員のためにできることは何でもやろうと決意し、皆様のご支援を信じ、挑戦させていただきます。

初めての事で至らないところもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
南十字星・シンチャオの状況

まず、シンチャオの経営状況についてお伝えします。両親のお店から独立し、2年目でコロナ渦にさらされました。
今回の新型コロナウイルスの影響を受けて、売上は去年比の70%以上減少しています。経営を続けるために銀行からの借入を行い、去年は何とか持ちこたえることができました。しかし、新しい借り入れは難しく、その資金もこのままの経営状況が続けば、あと半年以内にそこをついてしまいます。
本来ならば、自店舗の経営状況をお話しすることは恥ずかしいことではありますが、もう皆様のお力を頼るしかありません。

現在はアルバイトも含め従業員7人、1人も解雇することなく何とか持ちこたえてきました。このまま1人も欠けることなく、新事業を確立してコロナ渦を乗り越えたいと思っています。

コロナウイルス感染拡大の終息を待つだけでは乗り越えられない、両親の築き上げてきた40年を途絶えさせたくないという想いから、この度新しい販路開拓のためにクラウドファンディングに挑戦します。
南十字星・シンチャオの歴史

私は1975年ホーチミン(サイゴン)にて、ベトナム人の母と、日本人の父との間に生まれました。1979年、ベトナム戦争の折、ボートピープルとして日本へ亡命しました。

(前列左から、父 茂 、私 オサム 、妹 ケイコ 、母 キム・ホワァ 、弟 ミノルです)

1980年、両親は日本の皆様の寄付金でできた 日本で初のベトナム料理店(東京赤坂のお店)の第一人者として勤めます。
1982年、父方の故郷である福岡にて、福岡初のベトナム料理店 南十字星 を開業しました。
南十字星というお店の名前の由来は、難民としてベトナムから日本へ渡るときに、元漁師であった父の操船していた船は、海図と羅針盤を奪われ、昼は太陽を、夜は南十字星を頼りに航海をつづけ、何とか国連収容施設のあるマレーシア領にたどりつき九死に一生を得ました。私たち家族にとって【暗闇に輝く希望の星】である南十字星をお店の名前にしました。お店の外観は当時乗船していた船をイメージしています。

7歳の頃から店に立ち、料理や接客など生きる糧となる様々なことを両親からたたきこまれました。創業当時は食べていくことさえも苦しい時期もありましたが、