大阪江坂に新劇場オープン!シアターYOROKOBIの舞台を沢山の人に届けたい

大阪江坂に新劇場オープン!シアターYOROKOBIの舞台を沢山の人に届けたい
2021年11月13日に、新興演劇の賀美座専用劇場、シアターYOROKOBIがオープン致します!少しでも沢山の人に認知していただくためにも、広告活動費にご協力願いたいです。お客様と作り上げる劇場にしたいのです!どうかご協力お願いいたします!

はじめに・ご挨拶

初めまして、このページをご覧頂いて誠に有難う御座います

新興演劇賀美座(しんこうえんげき よろこびざ)の座長、不動倭(ふどう やまと)で御座います

以下。少し長くなりますが、最後までご覧頂ければ幸いです

賀美座 座長 不動倭 1982・7・3
2021年11月13日大阪江坂駅から徒歩3分に新劇場オープン

この度、長年の憧れである、劇団専用の劇場をオープンする事になりました。

お客様と劇団みんなで作り上げる!そして愛される劇場にしていきたい!

コロナ禍で落ち込んでいる世の中を、賀美座(よろこびざ)のパワーで盛り上げていきたいのです

そのためにも沢山の人に認知されなければならない・・・・

SNSで宣伝はさせて頂いているのですが、地元江坂の方々にどう広めて行けばいいのか?

と、考えた時に、劇団内の会議の中色々な案が飛び交い、

『劇場周辺のお家にポスティング10万世帯にしよう』『地下鉄御堂筋線江坂のアナウスでシアターYOROKOBIを宣伝してもらう』『シアターYOROKOBIの宣伝デザインの記されたバスに走ってもらう』

などなど・・・他沢山の意見が上がりました。

しかし、思いと資金の差があまりにも大きかったのです( ̄O ̄;)

新しい劇場作りに、舞台道具の考案・工事費・広告費など・・・皆様と共に作り上げて行きたい。

ファンの方々や、今日、このページをご覧になって、僕たちの思いを感じて頂いた方が居られるならば

幸いです、どうか、ご支援頂きたいのです

新興演劇?賀美座?とは

僕は、生まれた時から(1982・7・3生)大衆演劇の旅廻りの一座でした・・・

と言うのも、僕のお父さんが大衆演劇の劇団員でした、おじいちゃんの時代からこの業界で

お父さんは三兄弟の次男でした・・・

故父 辰巳 賀津雄

長男が若く座長になり、そして三男が劇団を引き継ぎ

父は縁の下の力持ち的位置で、一生を大衆演劇に捧げました。

そんな父ですが、僕が9歳の時に、蜘蛛膜下出血で亡くなってしまいました・・・

享年47歳の若さで・・僕には一人、7歳年上の兄がいます

(賀美座の代表 勝 小虎)

父が亡くなり母と兄と僕の3人が残され・・・劇団を辞めて母の実家に帰るのか?劇団に残るのか?

母は、選択を迫られ、僕が20歳になるまでは、劇団に残る、その先の選択は、僕に委ねるという

考えでした。3歳から舞台に出ている僕に、役者の道を閉ざす事は出来ない。

今考えてみると

僕には真似の出来ない事です・・・そして月日は流れ、転校学校を繰り返し(旅廻りは1ヶ月で移動)

中学生になった僕は、舞台と学業に励み(舞台8割 学業2割・・・学校嫌いでした( ̄O ̄;))

どんどん舞台の楽しさに、のめり込んで行くのでした・・・(遊びも、ほどほどさせて戴きました)

18歳の時に2歳下の彼女と結婚(今の奥さん20年続いてます^^;)19歳で長女が生まれ、

その頃から、自分も一座の座長になりたい・・・兄と母とで劇団を立ち上げたい!

と言う気持ちが、膨らみ始めました。

そして24歳で故郷の劇団を脱退し(その時には劇団の方々にはご迷惑をおかけ致しました。)

身内の劇団に移籍。31歳の時に劇団は2座になり、そこの座長を5年間勤めさせて戴きました。

36歳に賀美座を旗揚げ独立!この賀美座(よろこびざ)の名前の由来は、

亡くなった父の芸名が辰巳 賀津雄(たつみ かつお)の一文字、賀。

母の名前美智子の一文字、美。

賀という文字はよろことも読めるので