伝承してゆく、そのような新しい「学びのエンターテイメント」を目指しています。
私たちの活動を通じて、まずは公演を観てくださった人にマジックに興味を持っていただき、その歴史的な背景や文化への好奇心を持っていただくことこそが、今後のマジック界を変えてゆき、発展への礎になると信じています。
そのためにも今まで以上に派手でスペクタクルあふれる一大叙事詩のようなショーを作り上げるためには、道具、衣装、音楽、照明などに予算をかけるべきだと考えました。しかしそのようなお金はマジックバーを維持するのに精いっぱいの私にとっては用意するのが困難です。また以前であればイベントによって舞台で稼ぐこともできましたが、新型コロナの影響でほとんどの仕事が無くなってしまい、収入も経たれました。
そこで一縷の望みをかけて、クラウドファンディングに挑戦することを決めました。クラウドファンディングにより皆様のご助力を得て公演準備金とし、こんな時代だからこそ、明日を生きる糧となるような作品を提供したいのです。誰も見たことのない、世界でも類を見ない、そして日本人だからこそできるエンターテイメントショーに挑戦します!
プロジェクトをやろうと思った理由
私自身は子供のころからマジックが好きでした。いや少年であれば誰だってマジックが好きでしょうし、マジシャンになりたかったはずです。しかし思春期を過ぎたころには様々なことに興味を持ち、気がつけばマジックは忘れていきます。私もそうでした。ところが19歳のとき、たまたまマジックを勉強するようになりました。そして学生時代には本格的にマジックを勉強すべく渡米したのです。わずかな期間ではありましたが欧米のマジシャンたちと交流を深めました。当然、私も様々なマジックを見せて「ナイス」と言われて喜んでいました。しかしある時に言われました。「確かに君は上手だ。でもそれは全部、私たち西洋のものだよね」
恥ずかしいことに私は日本独自のマジックがあることを全く知りませんでした。むしろ海外において日本独自のマジックである和妻が知られていたのです。海外の人にとっては日本という国と日本人に興味があるからこそ、ありきたりの西洋マジックでは彼らを真の意味で満足させられなかったのです。
海外に行ったことにより、自身のアイデンティティとは生まれ育った国の上に成り立っていることを痛感するにいたりました。世界に通じるマジシャンを目指すのであれば、日本人らしい何かを持っていなければならないと思ったのです。
世界の島田晴夫師に出会ったのはそんな中でした。当時ラスベガスで活躍する唯一の日本人でした。ただの一学生にすぎない私に会ってくださった島田師に驚きました。そして酒を酌み交わし、いろいろと哲学を語ってくれました。やはり日本人として日本を語れる演技を心掛けてきたことによって生き残ってきたのです。まさかその後、島田師の傘手順や代名詞でもある「ドラゴンイリュージョン」を伝授されるとは思ってもいませんでした。
大学卒業後、一度は就職しましたが、プロマジシャンへの思いを断つことができず、弟子修行を行い3年間学びました。独立後もマジシャンとして生計を立てながら、和妻を勉強すべく、様々な師の元に習いに行きました。それは和妻だけではなく古典マジックがすでに衰退していたからです。時代はMr.マリックの超魔術ブームであり、奇跡的な現象がテレビでクローズアップされると従来からある手品は隅に追いやられていったのです。それはマジック界でも同じでした。
そこで私は、派手でお金になるマジックを尊重しつ