大槌町に江戸時代から伝わる、東日本大震災で被災した仏像を修復したい!

大槌町に江戸時代から伝わる、東日本大震災で被災した仏像を修復したい!
岩手県大槌町の沢山不動尊には、江戸時代に制作された不動明王三尊像が伝わります。像の制作には盛岡南部藩の豪商・前川善兵衛や江戸の仏師が関わっていた可能性があり、地域の歴史文化の証といえる文化財です。しかし東日本大震災の津波によって大きな損傷を被っているため、10年目のこの機会に修復しようとしています。

■ はじめに

岩手県大槌町内の被災者の生活支援事業を推進している「NPOまちづくり・ぐるっとおおつち」の小向幹雄と、地域文化財の修復や保護の支援をおこなっている「株式会社文化財マネージメント」の宮本晶朗です。
このプロジェクトはまちづくり・ぐるっとおおつちの小向と、(株)文化財マネージメントの宮本が共同で実施しています。

岩手県の大槌町は岩手県三陸沿岸部のほぼ中央に位置している自然豊かな町です。
古くから漁業が盛んで、人口は1万1千人ほど。
NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』に登場する「ひょうたん島」のモデルとして親しまれている蓬莱島がよく知られています。

大槌町沢山地区の不動尊には江戸時代に制作された木造の「不動明王三尊像」が伝わっています。

沢山不動尊・木造不動明王三尊像

中央の像が不動明王、向かって右の白い像が矜羯羅童子、向かって左の赤い像が制多迦童子の三体1セットの三尊像です。
作者は江戸人形町の仏師・安岡良運である可能性が指摘されており、その像は大槌町や関東など各地に残っています。

大槌町が東日本大震災による津波で多大な被害があったことは広く知られるところと思います。
不動尊がある沢山地区にも津波は及び、お堂の中に安置されていた不動明王三尊像も海水を浴びることとなってしまいました。

現在の沢山不動尊

そのような中でも、津波にさらわれて像が行方不明になることはなく、お堂の中に残っていたのは不幸中の幸いでありました。
とはいえ、大きな被害があることには変わりがありません。
今のところかろうじて自立していますが、構造的には様々な箇所が外れかけているといった損傷が像に生じています。

像と台座を接続する部材が外れてしまっており、不安定な状態

この不動明王三尊像を修復し、後世に遺すために、皆さまのご協力をどうぞよろしくお願いいたします!
■ 大槌町と商人・前川善兵衛と仏師・安岡良運

江戸時代の大槌町は盛岡南部藩の下で港町として発達しました。
そこには「みちのくの紀伊国屋文左衛門」とうたわれた前川善兵衛家の功績があります。
前川家は藩の御用商人となり、漁業と海運業で財を成します。
大型船を使った海上輸送により大量の俵物はじめ多くの海産物を江戸や大坂や長崎に送り込み巨利を得て、藩内最大の豪商として活躍しました。
その組織力と経済力は、盛岡南部藩にかわって日光東照宮修理、大井川改修工事、仙洞御所修理など巨額のプロジェクトを成し遂げるほどでした。

大槌町は海産物の集荷と海上輸送の拠点として経済的に繁栄し、それに伴って多くの仏像などが制作されて運びこまれ安置されました。
大槌町に関係する仏師としては安岡良運がおり、その銘がある像は三日月神社、大念寺に3体確認されています。

安岡良運が制作した三日月神社の不動明王立像

安岡良運は、江戸人形町に住んで活動していた仏師です。
大槌町からは遠く離れた所ですが、前川家の江戸支店が人形町からほど近い深川にあったことなどから、前川家を経由して大槌町での仕事をしていた可能性が指摘されています。
町外にある安岡良運制作の作品としては、宝暦14年(1764)から元治2年(1865)の年代のものが、関東から愛知県で確認されています。
年代にだいぶ幅があるため、何代かに渡って安岡良運という仏師名を襲名していたものと考えられます。
このうち、群馬県藤岡市・諏訪神社の神輿2基は、三井越後屋が安岡良運に依頼して安永9年(1780)に制作させたもので、ここから安岡良運は三越が依頼するほどの腕前であった

タイトルとURLをコピーしました