■ご挨拶
はじめまして。プロジェクトオーナーを務める、愛知県知立市で株式会社ワン・ストーリーを営んでいる平澤利佳と申します。
今回は「熊本で被災された光照寺の復興支援&宇城市地域活性プロジェクト~祈りとご縁を熊本から全国へ紡ごう~」を推進しています。
この度は数あるなかから私たちのプロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
まずは、私たちがなぜ熊本県宇城市にあります光照寺を復興させたいと思ったのか。お話させてください
人も、会社も、地域も、それぞれの背景にはたった一つのストーリーがあるものです。
一人ひとりの出会いが、別の人のストーリーのパズルになって、また新しいストーリーが紡がれていきます。
私は、こういった人や会社や地域のストーリーを大切にし、耳を傾け、それをつなぐことで新たな価値を生み出し、ビジネスをサポートすることを仕事にしています。社会生活にもビジネスにも、そして社会貢献にもストーリーが大事だと思っています。
私と『光照寺』の住職である糸山さんの出会いにも特別ストーリーがあります。それは、9年前の世界一周の船旅。
東日本大震災の時、糸山さんは、同じ浄土真宗でお寺をやっている仲間が大変なことになっている、と毎月東北に通い復興支援のお手伝いをしていたそうです。
ボランティアに来ていたピースボートの方たちとも交流するようになり、そのメンバーの中には糸山さんのお寺『光照寺』を定年退職された方も。そこで偶然にも再会したのです。
その方は、「糸山君、絶対にピースボートのった方がいいよ」と
糸山さんにピースボートの活動やクルーズの話を熱心に語ってくれたそうです。
糸山さんは、ボランティアをしながらも「自分もいつ死ぬかわからない」「今できることをやりたい」と感じることも多く、ピースボードの話にとても引き込まれました。
その時はちょうど、13年の教員生活とは別れを告げ、実家のお寺『光照寺』を継ぐべく住職の修行を始めた時期、
子どもとの時間ももっと大切にしたい、娘と世界を見てみようという思いも後押しして、糸山さんはピースボートに乗ったのです。
その頃、私はシングルマザーで七転八倒中。
「りかちゃんは、子どもたちにいろんな体験をさせられるような生活じゃないよね…」
と、人に言われたのをきっかけに、一念発起。
私のもとへ生まれてきた
子どもたちには、いろんな世界を見せてあげたいし
一緒に視野を広げていきたい!と強く思うようになりました。
また、発達障害の疑いのあった長男のことをきっかけに
子どもたち一人一人にあった教育を提供できるようになりたい、
そのためにいろんな教育に触れたいという思いも持ってクルーズに参加しました。
船内では自主企画をする時間やスペースがあったり日本で活躍している方が
乗船し、お話会が行われたりしていました。
当時は二人の子育てママであり、保育士だったこともあり
100名以上の色んな子どもたちと触れ合っていた経験から
世界の食育、教育に関わっていく事やサスティナブルな生活に実際に触れ
これからの未来を生きる子どもたちへ何が残せるのか広い視野で考えていきたいと思い
クルーズ中に食育、教育、環境等のプレゼンを企画して話していると
個を大切にする教育や子育てに対してのお話会や環境系の思いを話してほしいと
別の環境に企画をしている方から依頼がありクルーズ中にもスピーカーとして話すことをしていました。
そんな中で糸山さんはいろいろな方の企画に積極的に参加し、年代関係なくたくさんの方との繋がりを大切にしていました
この時糸山さんも個を大切にする教育を大事にしていた事や自由な生き方の選択に同じような興味を持っていた事など話したり
船内でも糸山さんは自分のことはさておき
人を応援することを全力で楽しんでいる姿のなか、どうやったら子どもたちを楽しませれるかと困っている人を助けられるのかという相談の話をすることもありました。
いつも人のことを助けたり楽しませたりする事ばかりを考えている糸山さんとは
1000人以上乗船している船の中でお互いに子どもと共に世界一周する仲間として出逢い
102日の間共に生活しました。帰る頃にはもう家族のような存在になっていました。
そして、船旅から9年後の今から5年前、熊本で震災が起きました。
当時は私の一番下の娘もまだ小さかったので、子どもを連れてボランティアに行くのは逆に迷惑になるのでは…と思い心ばかりの寄付をしました
他にも私に何か出来ることはないだろうか、とその時は考えていました。
でも、人の記憶は時には残酷なものですね。
日常生活を過ごす中、自分たちは震災に備えて備蓄等を考えるものの、自分ごとではない震災、
被災している地域や地域の方への意識も薄らいでしまいました。
そんな中でも、Facebookで時々見る糸山さんの投稿はいつもボランティアをしている様子ばかりでした
東北の震災直後に東北からの移住者を受け入れて地元の方と繋ぐ活動をしていたり
熊本の震災直後はお寺をボランティアの方の宿泊所にしたり、いつも元気な姿を見せて、
人のために忙しくしている糸山さん。
地元の地域、同じ熊本市内で豪雨災害に合った人吉市でボランティアを行う姿をFacebook越しに見て、糸山さんご自身の今のホントの様子はどうなんだろう、糸山さんのお寺やご家族はどうなんだろうと気になり、思い切って糸山さんに電話をしてみました。
「糸さん、Facebook見て連絡したけどボランティアに力入れてるのね。
先日仕事で宮崎に行って熊本経由で帰ったけど、まだまだ復興しきれてないんだね。
糸さんのお寺やご家族はどんな感じなのかな?」
「いやー正直ね、まだうちも復興してないんよ。
ほんとは屋根もぶっ壊れてご本尊もバラバラになって、お寺をたたもうと思ったんよね。
だけど、地域の方のおかげで本堂の屋根も直せることになったんだけど、4年経ってやっ
と周りが復興してきたけん。うちも直してもいいかなとは思って直し始めたら震災の後の豪雨で屋根も腐りかけていて結構予算がかかったんよね…」
「そうだったんだね。周りのボランティアをしているから、糸さんのところはもう、復興したのかと…じゃあ、ご本尊の周りはまだ直せていないのかな?」
「全部直すのには何千万とかかるから、屋根の修理で今はもう無理かな…
東北の被災地の方がこっちに移住してきて、本堂に地域のみんなや移住者の方が集まったりしていたんだけど、東日本からの移住者の方はまた震災にあって不安になって
引っ越していった方も多くいるような状況なんよね。
地域の方が元気にならないと、お寺を直すわけにはいかなくて。
ただね、また、前みたいにみんなが安心して集まれるような場所を取り戻していきたいと思ってる。そういう場所は必要だから。
でも、なんせ修繕費が高いから、なかなか動き出せない状況で…」
「糸さん、一人で全部直していかないといけないと思っているよね?
皆さんに協力してもらったらどうかな?」
「なかなかね…コロナの状況で来てもらうことも
できないし。
一応ね、新しい御本尊は、静岡のお寺が合併するということで譲っていただいたんだけどお本尊を置く宮殿が壊れていて」
「クラウドファウンディングをやってみようよ。
震災を忘れてはいけないし、光照寺だけでなく地域の皆さんが元気になるような形で
みんなの祈りの場を取り戻していこうよ」
熊本全体が揺れていて自分たちだけが助けてとは言いにくい状況の中、
助けたい人も何をしたらいいかがわからない方もいる
私が出来ることは熊本県宇城市の地域のストーリーと
全国の助けたい支援したい方々との祈りを繋いでいく事だと感じました。
今まで糸さんはいつも熊本震災の前から自分のことは後回しで誰かの支援をしている姿を見てきました。
宇城市の良さをたくさんの方に知っていただいく事で
宇城市がさらに活性化したら波紋のように周りも助けあって活性化して
熊本も全国も元気になっていくのではと希望をもって
熊本の祈りを取り戻して全国と祈りを紡いでいきたいと思うようになりました。
いつも、地域のために動いている糸山さん…
震災直後は崩れたお寺を見てお寺をたたむことも頭をよぎった、と。
その話をきいて、地震と共に心が崩れた人は
5年たった今もたくさんいるのではないかと私の頭をよぎりました。
地域の皆さんを繋ぎ支えてきたお寺であり困った時の駆け込み寺である光照寺を17代続いているお寺をここで途絶えさせ
祈りの場を無くすことはできません。
同じ国日本という国で一気に日本全国が地震になることはありません。
同じ地球に同じ時代に生まれ、同じ日本で困っているなら助けるのはあたりまえ。
次々と日常では新しいニュースが流れ、時が過ぎれば私たちの記憶は次々と上書きされ
熊本の震災は“何年か前にあったよね”という記憶になってしまう。
しかし実際の被災地の復興はまだまだ支援が必要な状態。
震災は忘れてはいけない事実
でも、被災地ではない私たちの役割は何だろうか…
募金をしたりするも何に使われているのかわからないし
もっと直接的に支援をしたい人のいるはず…
現地へなかなかうかがえないのであれば
ネットを使って熊本全国、宇城市の地域の人たちの活動と全国都が縁を紡いだり情報交換して自分たちが出来ることで助け合うこともできるのではないのかと思います。
コロナウィ
ルスの影響でソーシャルディスタンスを求められて
県外からの支援も受けにくい状況で
「助けてほしい」のSOSが出せないと
「助けてあげたい」の想いを繋ぐことの難しさを感じていることがわかりました。
また、光照寺も4年を経て外観は直ったものの中の御本尊はバラバラで祈る場所としての形が取り戻せていない状況でした。
いつも地域のことを考えて動いている光照寺さんの住職の糸山さんの想いは
地域のランドマークとして、お寺を風景を歴史を後世に紡いでいきたいということ。
光照寺だけでなく、その周りに住む人たち皆さんの活気や笑顔を取り戻していく事が
本当の光照寺の役割であり糸山さんの想いと汲み取り
光照寺を中心に地域の皆様の活性と全国と熊本の祈りを取り戻したい!!!
そう思い立ち上がらせていただきました。
この支援をきっかけに
光照寺を全国の皆さんの第2の故郷に
支援とはいっても面白がって楽しんで繋がって広がるそんなコミュニティ型であり参加型でありアトラクション的なクラウドファウンディングを目指しております。
■400年超え17代続く「光照寺」
熊本県宇城市にある「光照寺」は真宗大谷派(東本願寺)
江戸時代は熊本の延壽寺の末寺でした。
『国郡一統志』の寺社総録に「光照寺」の名が見えるので、
江戸時代の早い時期の成立と思われる。
「光照寺縁起」によると、
はじめは響が原の西南三由原にあって、天台宗の修験道場であった。
十五代「明現」が深く真宗の教義に感銘し、
寛永元年(1624)に浄土真宗に改宗し、
「三由山 光照寺」を建立した。
山号の「三由山」はこのことによっていると思われる。
元禄二年(1690)光照寺第三代「明尊」のときに、
現在の下糸石の地に移転したとのことである。
明治の熊本地震は、1889年(明治22年)7月28日23時45分に発生した、熊本県熊本地方を震源とするM6.3の直下型地震。この地震を契機に1898年(明治31年)本堂新築。
平成の熊本地震は、気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生した。宇城市豊野町では、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。それにより、本堂の屋根・壁・内陣が損壊。ご本尊もバラバラとなる。
参考文献:『国郡一統
志』「光照寺縁起」、『豊野村志』「三由山光照寺」
■住職の糸山さんの想い
熊本震災の直後、糸山さんはお寺の復興へ頭をよぎることなく
周りのパニック状態を何とかしないいけん!と思い
まずは寝る場所を用意するために光照寺の畳を人が集まってパンク状態の
福祉施設へ運び寝る場所を作ったり
炊き出し用に自宅の米を支援物資として届けに行ったり
車中泊しながらも
避難所の人たちのことが気になり
避難所の支援活動にいきました。
知り合いが支援物資を送ってくれたり助け合うことが出来ることで
一人じゃないと思える事が気持ち的に大きかった
仲間からの「一人で頑張るな」この言葉がうれしかった。
頼っていいんだ、助けてって言っていいんだ。
そう思えるようになった。
この時、人吉市に方もたくさん助けてくださっていたので
今でも人吉市に豪雨災害の復興支援に通うのは
「あの時の恩返しなんだ」と語る糸山さんは
助けたいと思う人と、助けてしてほしい人を繋ぎたい思いで
このクラウドファウンディングを、光照寺だけでなく
宇城市の地域活性と全国とのつながりでご縁と祈りを紡いでいきたいと強く願っているのです
■旅するご本尊の阿弥陀如来様と三河仏壇の技術
愛知県知立市という小さな町は古くから仏壇産業が盛んでした。
仏壇を仕上げるまでには 八種の専門職(8人の職人さん )の手により完成されます。
(三河仏壇八職会) 三河仏壇振興協同組合が設立されてから、
八職の会員もその殆どが組合に加盟し、 工部として伝統的な技術・技法の後継者の育成に力を入れております。
木地師…仏壇の外郭本体を作る
宮殿師…仏像・仏画を安置する須弥壇・屋根・桝組を作る
彫刻師…仏界のさまざまな絵模様を木彫する
金物師…仏壇に取付ける錺金具を作る
塗師 …木地部分に漆塗りをする
蒔絵師…漆塗りされた部分の必要な個所に絵模様を描く
箔押師…漆塗りされた個所に金箔を貼り付ける
組立師…錺金具を取付け各部分を検査し一本の仏壇に組立てる
その中で代々と続く他知立市の弘法通で仏壇屋さんを営んでいる
高岡屋仏壇店の3代目の高木誠さんに相談したところ・・・
仏壇というのは本来亡くなった方へ手を合わせるための物ではなく
自宅に小さなお寺があるということでご自宅の宗派にあった神
様を仏壇に祀り
手を合わせるという祈る場を身近において信仰することで心を落ち着ける
ということを教えてくださった高木さん。
いまは昔ながらの伝統技術を使った仏壇が減っていく中
この伝統技術を守っていきたいという思いと
家の中に代々と継ぐ祈り場と祈る心を大切にしたいという思いで
仏壇屋を営んでいらっしゃいます。
お墓参りや仏壇に手を合わせる姿を親が見せることや親子で行うことで
子どもの優しい気持ちを育むことが出来ることを私も聴いたことがありました。
祈りと伝統を大切にする高木さんに相談し三河仏壇へと繋いでいただくことが出来ました。
御本尊がバ ラバラになったことを知り、静岡県掛川市にある了源寺と円満寺が合併することによって行き場のなくなった阿弥陀如来様が光照寺に寄付されることになったのです。
実はこのご本尊は旅するご本尊。旅先は、岡崎→静岡→熊本です。
了源寺の歴史から見てみると三河地方では桶狭間の戦いの後
徳川家康が領国支配のための一揆を行い、反発した寺院を破却をしました。
その時に掛川へと逃れt北可能性があり
元々三河の地から静岡へいき熊本へ渡ったご本尊は旅するご本尊となりました。
その時代時代に合った場所で祈りを大切にすることを教えてくれるご本尊なのではないかと感じています。
このご本尊の生まれた地で宮殿を直しご本尊を磨き生まれ変わることが
光照寺、宇城市を中心に支援応援する人の心を磨き祈りを紡ぐことがご縁を紡ぎ笑顔の和を波紋のように拡げていくストーリーがまた新たなストーリーを生むのではないかと感じております。
新たなご本尊の歴史と伝統を守るために三河で宮殿を直すことになりました。
■今回のプロジェクトの目的は
〇光照寺のご本尊を三河仏壇の技術で祈れるように直し、地域の皆さんはもちろん全国の皆さんの祈りと憩いの場として交流しやすい環境を整えていく事
〇リターン商品を宇城市の地域の方々のこだわりの商品も取り入れていき支援と地域活性を図りネットマルシェ&コロナウィルス収束後のイベント参加権利&光照寺でのイベント開催権利をゲットして全国の方との交流へつなげていく事
〇光照寺、宇城市周辺の農家や作家さん等、支援者のコミュニティを作ることでそれぞれのストーリーの和が広がっていく
〇光照寺は環境が整い以前のように人が集まる場
となる。
宇城市周辺の地域は震災後の自分たちの力で立て直しながらも自分たちの想いの詰まった商品等を全国の方に知ってもらいお客様と繋がる機会となる。
支援者は、ただ支援をするだけでなく光照寺や農家、作家さんたちのストーリーの触れながら熊本だけでなく支援者同士もつながることが出来全国へと交友関係を広げていきながら社会貢献をする所ともできる。
■目標金額の内訳
本宮殿修繕 250万円
(洗浄、破損個所新規作成、土台補強、漆塗りなおし、金箔押し、金具不具合調整、金メッキ仕上げ、組み立て作業)
運送費等諸経費 30万円
■リターンについて
●熊本講演会参加券(4800円)
●熊本講演会参加券+Tシャツ付き(9000円)
※こちらのリターン購入者様はスタッフに慣れる権利がついてくるので
ボランティアスタッフコミュニティグループに入れます。
●オリジナルTシャツ(4800円)
●光照寺の屋根の修復の廃材を使って作り御祈祷されているご利益のあるお念珠(6000円)
●光照寺のシンボル銀杏オリジナル開運お香立て(御祈祷済み)(1200円)
●宇城市の手作りジャム詰め合わせ(6000円)
●宇城市の季節の果物一箱(9900円)
●支援金(6000円)
※御礼のお手紙
●お寺の生活一日体験(10000円)
●RiKA.と糸山さんを講演会に呼べる券(100000円)
※リターン、支援をしていただいた方のお名前をみんなで復興した光照寺として光照寺内に残していきたいと思っております。
〇講演会参加券の購入、プロジェクト限定のオリジナル商品の購入、生産者さんの商品、の売り上げは直接光照寺復興への支援金となります
※本プロジェクトはAllin方式で実施します。目標金額に満たない場合も計画を実行しリターンをお届けします。
■実施スケジュール
3月プロジェクト開始
5月末プロジェクト終了
6~7月 引取開始、解体・洗浄
7月リターン送付開始
7~8月 木地補修・欠損箇所作成・錺金具修繕
9~12月 塗り・乾燥
2022年1~3月 金箔直し・組立~納品
2022年4月熊本震災6年祈りとおはなし会
■皆さんの力を貸してください
なんで光照寺なの?
そう聞かれることもあります。
それは、ご縁があったからです。
ご縁があるから
具体的に何に困って
いて、どうしていくといいかが、リアルにわかりやすいのです。
私の一番の目的はご縁繋ぎかもしれません。
こうやって皆さんで一つの被災地を支援することでできるご縁があれば
もし別の地域で何かあってもまた集まって助け合うことが出来ると思うのです。
人はご縁で活かされご縁に助けられることばかりなんじゃないかと感じています。
こうやってご縁がつながることで安心できて信頼できるお金で買えないネットワークがこれからの時代に必要になってくるのではないかと思ってます。
光照寺を復興させて宇城市の元気につなげて
助け合うこと、支えあうこと楽しみや喜びの共有を皆さんと分かち合う一つのツールなとしても一緒に達成感を味わいたいと思っています。
まだまだ、影響力のない私だからこそ皆さんのお力が必要です。
一人でできないことも皆さんと一緒なら大きな力となり達成できる気がしているのです。
心から、よろしくお願いいたします。