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【あしなが学生募金】知らないことはこわいこと
4 ~ 6 分
はじめまして。
このプロジェクトページをご覧くださりありがとうございます。
あしなが学生募金事務局関西エリアの奈良ブロックに所属しています、山本真由(やまもとまゆ)と申します。
あしなが学生募金事務局では、遺児学生が主体となり、毎年春と秋の年2回、全国各地で「あしなが学生募金」を実施しています。
街頭で頂いたご寄付は、全額を一般財団法人あしなが育英会に寄付し、半分を日本の親を亡くした子どもたちや親に障がいがある家庭の子どもたちの奨学金として、残りの半分をアフリカの親を亡くした子どもたちの奨学金として大切に使わせていただいております。
しかし、今年は新型コロナウイルスの影響で、50年続いてきた街頭募金が中止となりました。これにより、募金活動を通じて街頭の方に遺児たちの声を届ける機会を失ってしまいました。
全国には約6,500人の奨学生がおり、新型コロナウイルスや今回の募金中止によって不安を抱えながら生活を送っています。
街頭で募金活動をすることはできませんが、別の方法で遺児たちを応援したいと思い、遺児の声を伝え、ご寄付をお願いするためにこのプロジェクトページを作成しました。
このプロジェクトによって、遺児の声や奨学金支援について一人でも多くの方へお伝えしたい、まだあしながの奨学金を知らない遺児たちに知ってもらいたい、と考えています。
皆さんは、あしなが育英会という名前を聞いたことがありますか?
私が初めてあしなが育英会について知ったのは、高校3年生のときでした。
私には両親がいません。4歳の時に父を癌で亡くし、それから一人で私を育ててくれた母も、高校3年生の夏に亡くなりました。母は癌が見つかってからずっと、それをまだ幼かった私に隠しながら、私を育ててきてくれました。高校2年生の秋ごろ、私の教育費のためにパートタイムで限界まで働いていた母が倒れました。母が入院して初めて、自分一人では何もできないことに気が付きました。母がいない家で学校のことや家事を両立するのは大変でした。病気と闘いながら働き、家事や私の世話をしていた母はすごいと思いました。それまでは、母が私の教育に熱心だったため、大学進学は当たり前にするものと思っていました。しかし、母が倒れてからは高校の授業料を払うのもギリギリで、ただそのときを生きていくのに精一杯で、それまで当たり前だったものが手の届かないもののように思えました。そんな矢先に母が亡くなりました。
私を支えてくれた母と二人の兄
もっと早くあしなが育英会の奨学金制度を知っていたら、いくらかは救われていたかもしれません。あしなが育英会には、高校奨学金制度があり、当時の私は父親を亡くした遺児だったので、その奨学金を利用できていたはずなのです。しかし、私は遺児という言葉も、あしながのことも、知りませんでした。ただそれだけのことです。ただ知っているだけで、当時の私や母の生活は大きく変わっていたかもしれません。だから、知らないということは、人生を左右することもあり得る、こわいことだと私は考えます。
幸運なことに、私は高校の先生からあしなが育英会について教えてもらうことになります。当時、日本学生支援機構の奨学金については学校から知らされていました。申請する際に担当の先生が私の家庭状況を知って別の奨学金をいくつか紹介してくださいました。そのうちの一つが、あしなが育英会の奨学金だったのです。
奨学金制度を知ったおかげで、進学を諦め