ご挨拶
この度、クラウドファンディングに挑戦をさせていただきます株式会社黒壁・代表取締役社長の進晴彦と申します。
弊社は、滋賀県の北部にある長浜市で、昭和の終わり頃にシャッター通りとなった中心市街地にある明治時代の銀行の建物を活用し、平成元年に黒壁ガラス館としてオープンしました。郊外の大型店にお客様を奪われた中心市街地にオープンした黒壁ガラス館は、当時、古い建物にそれまで地場産業にも無かったガラスという素材を組み合わせたことで反響をいただき、多くの観光客が訪れる街に変貌しました。その後も街の空き店舗を次々にガラスショップやカフェ、ギャラリーなどに生まれ変わらせ、2019年度は年間200万人の観光客で賑わう街となりました。このエリアを私達は黒壁スクエアと呼んでいます。
しかしながら、新型コロナウイルスの脅威が押し寄せ、またたく間に街から人影がなくなりました。私達の頭をよぎるのは昭和の終わり頃の寂しいシャッター通りの風景でした…
このプロジェクトを立ち上げた背景として、この新型コロナウイルスで疲弊している中心市街地を再び元気にしたいと、弊社の中核であるガラス事業にちなみ「ガラスの音楽会」を開催したいと考えております。ガラスの音楽会では、世界でも希少なガラス製のクラシック楽器を使用します。これは弊社の取引先でもあるHARIO株式会社が所有しており、これらをお借りし、明治時代の面影を残す黒壁ガラス館の中で音楽会を開催を計画しています。丁度この建物は現在数ヶ月に渡る長寿命化工事を終えることとなり、リニューアルオープンの機会にガラスの音楽会を開催する予定です。
30年以上培ってきたガラス文化の灯火を消したくない。この音楽会をきっかけに、新しい時代の黒壁スクエアを多くのお客様に楽しんでいただきたい。そして、長浜の中心市街地の再興につなげたい!
このプロジェクトで実現したいこと
今回のプロジェクトで私たちが実現したい最大の目的は、皆様と共に黒壁ガラス館のリニューアルを祝い成功させ、地域をはじめ、長浜市、滋賀県、ひいては関西の観光を元気に推進していく契機とする事です。関西のみならず、黒壁スクエアを応援していただける全国の皆様にプロジェクトにご参加頂き、皆さんと一緒に盛り上げ、地域も黒壁スクエアも、沢山のお客様と街を楽しんで頂けるよう新たなスタートとしていきます。
落ち着きの中に活力があり、歴史と文化溢れるこの街に是非とも訪れて頂き、長浜の街並や黒壁スクエア周辺を含めた沢山の見所をゆっくりと楽しんでいただける、そんな黒壁スクエアを是非応援して下さい!
ご支援お待ちしております。
黒壁ガラス館と長浜曳山まつり(コロナ前)
秀吉が愛した歴史深い滋賀・長浜
長浜城歴史博物館滋賀県の北部に位置する長浜市は、戦国時代の世には今浜という名で呼ばれていました。当時、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が織田信長より十二万石を与えられ初めて城持ち大名になり、信長の名にちなんで「長浜」と改名したと言われています。農民から出世した秀吉は類い希な才能を発揮、この地の商取引を税免除とする楽市楽座を開き、町衆の自治を十人衆という民間人に任せることで大いに発展させました。商業の興隆を背景に明治まで楽市楽座の朱印状が適用されたことで、長浜は「商人の町」として交通網も発達し、町中を横切る北国街道を中心に人々の活気に溢れていました。
市街地衰退の波
そのような流れと近代化の波が合流し、明治33年、長浜に国立第百三十銀行長浜支店(現在の黒壁ガラス館)が建てられ、その黒漆喰の洋館である外観から「黒壁銀行」の愛称で多くの人からとても親しまれました。この建物は明治銀行や煙草の専売公社、カトリック教会に姿を変えながら街の賑わいを見つめ続けていましたが、昭和40年代に入り、モータリゼーションの発達や大型店舗の進出などによる影響から中心市街地は急速に衰えていきました。商店主の高齢化も進み年々シャッ出典:『長浜百年』(長浜市発行、1980年)ターを下ろす商店が増加、長浜を中心とする湖北地域15万人の商圏を誇っていた中心市街地は、月間わずか約4千人の来街者となっていたのです。それは単に経済の衰退によって生活が脅かされるだけに留まらず、秀吉の時代から続いた伝統行事「曳山祭り」の継続が危ぶまれる、つまりこの地の文化的損失にまで発展しかねない事態でした。さらに追い打ちをかけるように昭和60年代にはカトリック教会の郊外移転に伴い、旧黒壁の建物は売却され建物が取り壊されるかもしれない状況に陥りました。
昭和63年頃街のシンボルが取り壊されると聞き一念発起、まちの有志として多種多様な企業家が集い、昭和63年4月に長浜市との第三セクター株式会社黒壁が設立されました。しかし、第一回の役員会が開かれた後、旧黒壁の建物の前で通行調査が行われた際には日曜日の午後にもかかわらず一時間に「ひと四人と犬一匹」しか通らない中心市街地を見て一同は現実の厳しさに直面することになります。
新しい文化と歴史
ヨーロッパ視察の様子何らかの事業を展開して活気を取り戻そうと議論を繰り返していましたが、そのまま幾日か過ぎたある日、いつものように同じメンバーが集まったところ、初代社長が言いました。「ヨーロッパを旅行していてガラスを作っているところには沢山の人が集まる。ガラスをやろうか」と。しかし、一同にはガラスを取り扱ったものはいません。全国のガラス施設の視察から始め、その後ヨーロッパへ向かい一同驚嘆しました。ヨーロッパのガラスには歴史に裏付けされた文化があり、技術もデザインも超一流。これを長浜に持ち込めば、新しい文化とガラスの歴史が注入できるかもしれない。ガラス事業を決意したことで、帰国後は急ピッチでオープンの準備が進められました。そして、平成元年7月1日、黒壁一號館黒壁ガラス館を始めとする3館からなる黒壁スクエアが誕生したのです。
黒壁ガラス館古くからの街並みや建造物による「歴史性」と、長浜曳山祭に代表される「文化芸術性」という、この街がずっと培ってきた価値に、世界中の人々が身近に感じるガラスという「国際性」を取り込んだことが、現在の「黒壁スクエア」の礎となり、歴史あるものと新しいものが組み合わされ魅力を生み出しました。
北近江サケグラス公募展そして現在、ガラス文化を発信する黒壁ガラス館の他、ガラス制作体験の教室、滋賀産品などの販売、オルゴール、セレクト雑貨、カフェなどの運営し、様々な店舗とも協力しながら黒壁グループ協議会を形成し、平成31年1月には累計で5,000万人のお客様を迎えました。
近年ではガラス文化の発信企画として『北近江サケグラス公募展』を毎年開催し、全国のガラス作家の力作が一堂に会する大規模な活動も実施しています。
しかしながら、新型コロナウイルスのパンデミックにより、黒壁スクエアも大幅な来場客の減を余儀なくされました。商店街も空き店舗が徐々に増えつつある中、このままでは街がかつてのシャッター通りに戻ってしまうのではないかという不安感が街中に広がっています。
そんな中で、この危機感をチャンスに変えたい!そう願って、新しい黒壁スクエアを皆様に楽しんで頂けないか