724年開基定福寺境内のユニバーサバデザイン化、駐車場増築と運動場併設のお願い

す。吉野川はラフティングやカヌーの日本三大名流に選ばれており、多くの人々や修学旅行生が訪れています。大杉地区の大杉は、屋久杉と並んで貴重な杉です。京柱峠から梶ヶ森を望む景色

文化面では、古い史料がいくつかあり記録もありますが、建造物としては、国宝薬師堂のある豊楽寺。豊楽寺には、国指定を受けている仏さまが数体安置されています。かつての旧立川番所であった立川番所書院は重要文化財の指定を受けています。登録有形文化財の指定を受けている定福寺本堂、定福寺持仏堂があります。定福寺には県指定をうけている本尊さまや仏さまが12体安置されています。定福寺に隣接する豊永郷民俗資料館には、豊永郷の人々が利用してきた山村の生活用具が収蔵展示されており、建造物と展示をあわせて2017年にグッドデザイン賞を受賞しています。
食堂などでは、インド人と日本人の夫婦が営むシャンティ―やなかとよ食堂などが豊永郷にあり、周辺ではトレッキングなどのコースも整備されています。
プロジェクトを立ち上げた背景

大豊町は2万人の人口から3千人台となり、過疎化が急激に進んでいます。また高齢化率も60%近くとなっています。このような状況から、ご法事などのお祈りの方法も変化してまいりました。かつては各家庭でご法事が行われ、その後で精進落としが行われ、皿鉢料理などで親類やご近所の方々とお食事をすることがほとんどでした。しかし、子供たちは山を下り市街地で仕事をしている状態となり、残された老夫婦ではそれらの準備ができないことから、お寺を利用してのご法事と精進落としが多くなりました。また、有形・無形文化財が多く残る豊永郷には、観光客が増加し、自然環境を活かしたラフティングや登山やトレッキングを楽しむ人々も訪れ、関西圏からの修学旅行も非常に多くなっています。これまでと違った形で豊永郷や定福寺を訪れる老若男女が多くなりました。一方でこれまで定福寺は、お手洗いは水洗化されておらず、多目的トイレもなく(最寄りの多目的トイレまでは車で20分)、訪れ辛い環境がありました。多くの方が訪れて頂いても駐車場は5台しか止められず、狭い道でのすれ違いが大変な紅葉や蓮のシーズンには、平時には3分で降りることができる道が20分以上かかり、近隣住民にも多大なるご迷惑をおかけいたしておりました。そのような状態の解消と利用しやす寺院である必要があると考えていました。
豊永郷のある大豊町は国道32号線が横断する町ですが、大豊町の端から端まで移動すると車では1時間以上かかります。統廃合の結果、小学校と中学校が1校ずつしかありません。遠くの生徒はスクールバスで片道30分かけて通います。よって放課後の遊びや部活が十分にできる環境にはありません。また高知市内まで高速道路を使い40分かかるため、時間と費用の問題でスポーツや習い事などは、できる環境もありません。定福寺まではスクールバスで30分かかります。2020年に小学校を卒業した生徒は8人でした。このような環境にありながらも、スポーツの得意な子も多くいます。平地の少ない場所で、なんとか体が動かす場所と方法を子供たちに与えたと考えていました。
このような整備を始めた最初のきっかけは、地域に住む現在93歳のお婆さんの一言でした。毎月2回、そしてお寺の行事の時など年数回は必ずお越しになるお婆さんが、「本堂の階段が登れなくなり、この前は怖くて後ろ向きに降りてきました」とおっしゃられました。また、その数年後、脳卒中により体に障害を持った方が、いつも定福寺に参拝に行きたいと、家でグーグルマップを