参加した演劇の再演でぼろっぼろに泣いたり。あと離婚もしたね。いろいろありすぎてウケるわ。そんでよ、なんかあるたびに曲にしてたの。感情の整理整頓をするために、歌詞に落とし込むわけよ。それが俺なりの「世界との折り合いのつけ方」なんよね。それが一定数に達したから、アルバムにしようと思ってさ。
そしたらこの疫病騒動よね。石巻でお世話になってるライブハウスとか、仙台でのホームと呼んでる長町のライブハウスとかさ、東京・奥原宿で可愛がってもらってるライブバーとかにさ、「お久しぶりです」つってアルバム持ってライブしに行こうと思ってたのに、いつになったら実現できるかって考えても、全然お先真っ暗よね。生活が、文化が、世界そのものが、ゆっくりと確実に蝕まれていってるじゃん。「新しい生活様式」って言やぁ聞こえはいいけどよ。多分もう元には戻れないと思ってるのよ。
だから、出来ることを全力でやることにしたんよ。だってさ、「落ち着いたころに」とか「今は耐え忍んで」とか、この1年で何回耳にしたよ?防戦一方、ってのは性に合わないんでね。HIPHOPって、そういう事だと思うのよ。俺は。
一撃で激変させられた10年と、これからゆっくり変化していく10年。
その国境に俺らはいるんじゃないかと思う。
【経緯:Q】
2020年の10月に、立て続けに2本の配信ライブ案件があってね。これがむちゃくちゃに楽しい経験だったの。
一方は文化事業団絡みで結構規模感もでかいやつで、セット組まれてたりしてすっげ楽しかったんだけど、もう一方がこれまたハチャメチャなやつでね。
夜中の公園で、ゲリラ配信ライブ。街灯を照明代わりに、電源もバッテリーで持ち込んで、最小限の機材セットを考え抜いて、リハなし本番一発勝負。全部歌い終わったのとほぼ同時にお巡りさんが様子見に来たのもタイミングが神ってて語り草ですよ。ブロンクスかここは。超HIPHOPじゃん。
それを踏まえてね、「これ、リリースライブできるぞ」って。ステージや箱にこだわらないライブの可能性を見つけちゃったんよ。
何をするかって?「移動型配信路上ライブ 」よ。街じゅうを歩き回りながら、その場その場をステージに見立てて、ノンストップの路上ライブを配信するんさね。今回は、「街そのもの」がショーのステージってわけ。
「ラッパーはその街の書記官なんだ」ってとあるMCが言ってたんだけどね。それを反芻する10年だった気がする。この街にいる俺が、このご時世だからこそ可能で、ここにいるからこそ伝えられること。もっと簡単に言ってみようか。「楽団ひとりじゃないと歌えないこと」に固執した10年だった。奇しくも、2020年は1stをリリースして10年目だった。楽団ひとり歴10年だね。2021年3月は天変地異から10年。俺も、この街も、多くを失ったし、多くを得たと思う。その中で、ネガティブからポジティブを創造するっていう姿勢はバッチバチに鍛えられたよね。ここにきてようやく「この街でHIPHOPやっててよかった」って心底思えるようになった。
復興の名のもとに風景はノンストップで移り変わるし、通り過ぎていくだけの人たちも確かに多い。思い出を語るのは居心地がいいけれど、そこから「先」はないんだな。
変な話、一回経験してっかんね、俺ら。日常が崩壊するのは。 少なくとも俺は、10年前に全てが根こそぎ強制終了させられるのを目の当たりにした。そこから這い出てきたんだよ。この街にいる人たちも、この街も、そこから立ち上がってきたんだよ。
10年経って、もういっぺん日常が崩壊し