小冊子を制作して次世代に届けたい! 美濃出身「栄叡大師」の功績と無念さを...。

小冊子を制作して次世代に届けたい! 美濃出身「栄叡大師」の功績と無念さを...。
志半ばでこの世を去った悔しさはどれほどのものであったか...。鑑真和上の招聘に命をかけた日中文化交流先覚者「栄叡大師(ようえいたいし)」の功績を1人でも多くの皆さまに知っていただくため、自費出版で小冊子を制作します!!

はじめに・ご挨拶

はじめまして!

私たち「栄叡大師奉賛会(ようえいたいし ほうさんかい)」は、日中文化交流先覚者である栄叡大師(ようえいたいし)の周知活動を行っております。

栄叡大師の周知をなぜ行っているかと言いますと、栄叡大師は私たちの地元岐阜県美濃地方の出身であり、奈良時代、鑑真和上の渡日を実現させた僧侶だからです。

栄叡大師奉賛会では、このような大師が存在したこと、さらには、大師の功績がいかに偉大であったかを広くお知らせする活動を展開しております。
このプロジェクトを立ち上げた背景と実現したいこと

鑑真和上が、日本に戒律を伝え、日本の仏教文化の発展に寄与したことは、中学高校の歴史の教科書に記載されているとおりです。鑑真和上は中学高校で習うので誰もが少なくとも名前だけは聞いたことがあるのです。

しかし、鑑真和上が栄叡によって渡日したことは記載されていませんので、栄叡の名前はおろか、「ようえい」という読みすら知られていないのが実情です。

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奈良時代、中国(当時の王朝は唐)の正しい仏法を取り入れて国を興そうとした聖武天皇より、授戒できる僧10人を招請する命を受け、遣唐使船で渡ったのが栄叡と普照でした。

苦難の末、入唐9年目にして鑑真和上との出会いを実現することができましたが、荒波を抗って日本に渡ることは、非常に危険であり、そんな危険な航海に鑑真和上を出したくないと鑑真和上の弟子が阻止するなど、簡単にはいきませんでした。

5度目の渡航が失敗したとき、無念にも栄叡は亡くなり、鑑真和上は失明してしまいました。

そして6度目にしてようやく鑑真和上の渡日を実現させることができました。

その結果、鑑真和上により日本に正しい戒律が伝えられ、日本においても仏教文化の本格発展に至りました。

このような経緯は、教科書には記載されておらず学校で学ぶことはありません。

そこで、このプロジェクトをきっかけに栄叡大師という名前を知っていただきたいと考えております。

その1つの方法として、栄叡大師のご苦労・功績を漫画小冊子としてせする制作こととしました。

制作を決定したところ、「美濃出身 栄叡大師を顕彰する県民の集い」実行委員会様(以下実行委員会)より、県内の小中学校、図書館等に配布したいとの申し出がありました。

このプロジェクトは、特定の宗教を讃嘆しようというものではありません。例えば、戦国時代日本にキリスト教が広まるきっかけを作ったのは、フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスのような宣教師であることが、歴史ドラマなどでも取り上げられており、非常に有名です。

しかし、栄叡大師は取り上げられる機会も少ないので、このプロジェクトでは仏教文化の歴史を知る機会を作ろうという文化活動の一環として取り組んでいるものです。
これまでの活動

「1,250年も前に素晴らしい功績を遺した栄叡大師が未だに中国に眠っておられるのは美濃国(現岐阜県美濃地方)の1人として放っておけない。1日も早く里帰りを実現させなければ!」との思いから、中国仏教協会に協力を要請し、栄叡大師の亡くなった中国広東省の慶雲寺近くの古木で坐像を制作、1995年6月に念願の里帰りを叶えるとともに、同年11月「栄叡大師1,250年坐像奉迎慶讃」大会を開催しました。

大会後には、唐招提寺において鑑真和上との対面が実現、以降、栄叡大師奉賛会では毎年6月、美濃加茂市伊深の正眼寺にて顕彰事業を営んでおります。

この時作られた坐像も25年経ち痛みが目立ってきていました。そこで、栄叡大師奉