クニを中心とした勢力に抵抗したこの地の人々が立て篭もった堡(おき)が「小城」になったと奈良時代に編纂された「肥前国風土記」は伝えています。
中世に入ると武士の時代となり、鎌倉幕府より恩賞地として小城の地を得た千葉氏が下総国(現千葉県)より下向し、千葉城を中心に勢力を広げ、戦国時代には佐賀、小城、杵島の一帯を治め、肥前の国主とまで言われて繁栄しました。
戦国時代の動乱を経て、江戸時代は、小城鍋島藩七万三千石の領地となり、自楽園、藩邸を中心に周辺に小路と呼ばれる武家屋敷がつくられ、街が発展し現代の街の原型が形作られています。
特に小城町の上・中・下三町の祇園社通りの建設は千葉氏の高い文化水準を受け継いだ鍋島氏の壮大なスケールの都市計画によるものであったと考えられています。
また、小城は中世より交通の要衝であり、肥前の産業ネットワークの中心地としても栄え、明治後は、廃藩置県、郡県制への移行などがあり、日本が近代国家へ変貌していくのに合わせて小城も近代的制度へ移行していきました。
明治初期に「小城羊羹」の製造も始まり、日清・日露両戦役を通じて軍の甘味品として太平洋戦争終結まで納入され、今日の小城の特産品となっています。
現在でも小城の中心市街地には20店舗もの羊羹屋が集積する日本一の羊羹の街でもあり、昨年9月には砂糖文化を広めた長崎街道シュガーロード(小城羊羹など)が日本遺産に認定されています。
~~これまでの活動とプロジェクトを立ち上げた背景~~
私は、39年間の公務員生活で、様々なことを経験し、学びました。
まちづくりに関しては、若い時には全く関心のなかったのですが、役所で地域活性化の担当になったことが契機となって、地域の関係者の皆さんと一緒に活動する中で、様々な地域の課題や関係者皆さんの想いが分かってきたところがあります。
故郷の地域を元気にしたいとの想いでボランティア活動をされている方々ともお話しする機会も増えて、自分の中で“まちづくり”の意味というものが自然と落とし込まれていったところがあったと思います。
熱くまちづくりを語る恩師の方にも出会い、その背中を追いかけて、少しでも追いつこうと、そして皆さんの期待に応えたいと悪戦苦闘してきました。そんな中で、悩み困った時には、そっと手を差し伸べて助けていただいたことは、今でも心に刻み込まれ感謝に堪えません。
これまで多くのまちづくり関係者の方々にいただいた、ご縁やご恩をいつかお返ししたいとの想い、また貴重な地域の資源が一つ、また一つと失われていくのを見るのが忍び難く、自分の残された人生の中でやるべきことは、今よりも良い形で街を次世代に引き継ぐことではないかとの結論に至りました。
小城にとって 継承と挑戦、小城にとって 伝統と変革 とは
想いを 継ぐこと・・・とは
カタチを継ぐこと・・・とは
挑戦を続けること・・とは
ここから変えたい
ぜひとも、応援していただきたい。
ご支援お願いいたします。
~~資金の使い道・実施スケジュール~~
ご支援いただきました資金は、国登録有形文化財の小柳酒造酒蔵の補強・改修費や運営費、クラウドファンディング手数料等に使用させていただきます。
~~リターンのご紹介~~
①3,000円
感謝をこめてお礼のメール
ホームページにお名前掲載
★感謝をこめて、お礼のメールを送ります。
★弊社ホームページにてご支援いただいた方のお名前を掲載させていただきます。
※ホームページは現在準備中です。(10月開設予定)
※ニックネーム等で掲載