はじめに・ご挨拶
私達は静岡県浜松市内で約140年前より浜松まつりで参加各町が使用する凧の製造を担っている上西すみたや、一瀬堂際物店、サポートメンバーで作るプロジェクトチームです。
このプロジェクトで実現したいこと
昔から浜松まつりで使う凧を製造する上西すみたやと一瀬堂際物店。現在も約150町の凧の製造を担う私達ですが、コロナ禍により浜松まつりが昨年中止、今年も制限付きの縮小開催となり、凧の注文は例年の1割ほど。このままでは経営が成り立ちません。我々2社の経営を存続させるべくクラウドファンディングに挑戦いたします。また、この機会に「凧屋」の存在や価値もより多くの方に知っていただきたいと思います。
私たちの地域のご紹介
私達の住む静岡県浜松市では毎年5月に『浜松まつり』という行事があります。その中心行事というべき凧揚げでは、市内174ケ町がそれぞれの町の印の大凧を揚げ、糸切り合戦をします。また、大凧に初節句を迎えた子供の名前を書いた凧を揚げてお祝いをすることもします。浜松を離れた方が正月は帰らなくても、浜松まつりには帰ってくるということもあるような、浜松の人間にとってはかけがえのないまつりとなっています。
プロジェクトを立ち上げた背景
■浜松と凧屋
現在、浜松まつりではそれぞれの町の印が固定化されています。そのスタイルが確立されたのは「浜松まつり」の名称もない明治後期からと言われています。私ども2社はその頃から凧製造に携わっており、そのことは当時の新聞等でも確認することができます。
全国に凧を扱う祭やイベントは多くありますが、浜松凧は正方形、格子状に組まれた丈夫な骨組みと、一本竹の尾に荒縄を付ける浜松凧独自の形や構造を持ち、その浜松凧を専門に製造する「凧屋」に、各町の若衆が製造を依頼するスタイルを続けている事は、大変貴重な浜松まつりの特徴であると共に、この土地に根付いた残すべき文化でもあります。
■浜松まつりの拡大と、凧製造の特化
元来、すみたやは表具、一瀬堂は人形等を扱う際物業でしたので、凧製造はその業務の一環として行う極めて季節的な作業のひとつでした。大きく変わったのは昭和49年頃から。新規参加町が年々増え、20年の間には倍以上の155ヶ町になり、この頃から製造する凧の枚数も年々急増していきます。
これに伴い、季節的な作業だった凧製造が、材料確保の増加や、納期の早期化の影響も あって、年間を通して準備しなければならない業務へと変化し、年間売り上げの大半を凧製造が占めるようになりました。
凧製造が年間の業務として安定してきた頃から、それまで主流だった3帖4帖の凧が、少しずつ5帖6帖という大きな凧へと移行していきます。しかしながら、初凧の大型化による、施主への費用負担の増加は、全体的な浜松まつり離れを生み、現在ではピーク時の約半分の製造数となっている現状に加え、長引く不況、 少子化による初そのものの減少と我々にとっては更に厳しい状況となっていました。
■新型コロナウィルスの感染拡大と浜松まつり
このようなただでさえ苦しい状況のなか、世界中を襲ったのが新型コロナウィルスです。令和2年度の浜松まつりは中止となり、それまでに注文をいただいていた凧は多くの町がそのまま購入して下さいましたが、それでも数は例年の半分ほど。そして今年は規模を縮小しての開催が決まり、新規のご注文は例年の1割程度に留まっています。
そのような中でも、我々は次の年の凧の準備をしなければなりません。各町からご依頼いただいた凧は必ず期日