camp-fire.jp
「#ひとりじゃない」親をなくした子どもたちを支える心のケア事業にご支援を
4 ~ 5 分
あしなが育英会は、奨学金支援の他、30年近くにわたり、遺児の心のケアを行ってきました。
はじまりは、1995年の阪神淡路大震災。阪神・淡路大震災 では573人の子どもが親を亡くしました。同年夏の「海水浴のつどい」で小学5年生の男の子が描いた「黒い虹」。遺児たちの心の中の「黒い虹」が七色の虹に変わるようにとの願いから、1999年に震災遺児の心のケアの家「神戸レインボーハウス」が完成しました。2003年からは震災遺児のみならず近隣の病気や事故、自死などで親をなくした遺児の心のケアにも取り組んでいます。
震災後、少年が描いた「黒い虹」
2000年前後から急増したがん遺児、自死(自殺)遺児をサポートしようと、2006年に東京都日野市に「あしながレインボーハウス」が建設され、2007年から活動を開始しました。日野市七生丘陵の自然に囲まれた癒しの空間へ、全国からさまざまな理由で親をなくした子どもたちが集まり、定期的に心のケアプログラムが開催されています。
2011年3月11日、東日本大震災が発生。あしなが育英会は「特別一時金」給付の発表し、国内外に支援を呼びかけるとともに現地にお知らせチームを派遣。およそ3年をかけて震災遺児に1人あたり283万円の給付金を届けました。その数は2083人に達しました。そして、心のケア活動の拠点として、2014年に仙台、石巻、陸前高田にレインボーハウスを建設し活動を始めました。
レインボーハウスは、親というかけがえのない存在をなくした子どもたちの「あのね」を受け止め、交流し、自分らしくいられる安心安全な居場所です。
子どもたちが抱いている様々な気持ちやエネルギーを表現できるよう、お互いの顔を見ながら語り、聴くことのできる「おしゃべりの部屋」、自分や相手を傷つけずに大きなエネルギーを表現できる「火山の部屋」など様々な部屋があります。
また、 「ファシリテーター」と呼ばれるボランティアの方々が子どもたちと一緒に遊び、子どもたちの話に耳を傾けてくれます。
レインボーハウスは学校や家とは異なる「非日常の空間」として位置付け、はじまり(自己紹介、お互いの存在を確認する 時間)、まんなか(遊びたいこと、話したいことなどしたい事をする時間)、おわり(その日の感想などをシェアし「またね」の時間)を大事にしたプログラムを開催しています。
各レインボーハウスの詳細はこちら
死別や喪失を経験すると、誰しもに「グリーフ」と呼ばれる感情・反応があらわれることがあり、子どもたちも例外ではありません。グリーフは、頭痛や腹痛などからだの不調として現れたり、対人関係がうまくいかなくなるなど日常生活に影響を与える場合もあります。しかし決して病気や異常ではなく、大切な人をなくしたゆえの健全な反応なのです。
私たちは、子どもたちひとりひとりのグリーフワークを支えるため、子どもたちの身体の安全はもちろん、心の安心を感じてもらう環境を大切にしています。 また、ピア・シェア・エンパワメント・モデルという要素に基づいた環境も大切にしていま す。
ピアとは、同じような体験をした子どもが集まること。
シェアとは、お互いのグリーフを語り合い、聴きあうこと。
エンパワメントとは、比較して優劣を判断するのではなく、お互いの気持ちや歩みを認め合い、支持しあうこと。
モデルは、自分以外の表現やその方法、歩みを参考とする視点をもつことです。
これ