なり、「なんで自分ばかりがこんな目に遭うの」と考える日々が続きました。
私には親を失う悲しみは分かりませんが、「こんな親でごめんね」と言いながら涙を流す親を抱きしめるやるせなさや切なさ、そんな親をいつ失うかも分からない恐怖はいやというほど知っています。
そして、どう頑張っても消化できないほどに溢れるこれらの感情は、むしろ私を強くしました。
私はいつも誰より強く、そして明るくあらねばならないと思うからです。
家計が少しでも楽になるよう、ここまで必死で勉強を続け、大学入学以来ずっと授業料は全額免除されています。
努力の甲斐あって3年前期までの総合成績において「優秀者」として表彰されたことは、私の誇りです。
また、現在は地元兵庫を離れ、大学がある奈良で1人暮らしをしていますが、実家からの仕送りは一切ありません。
アルバイトの収入と奨学金での生活は、苦しいときもあるというのが正直なところです。
それでも家族の前で弱音や愚痴は吐けません。
しかしその反面、誰にも相談できず1人で悩みこんでしまうこともあります。
奨学生どうし経験を話し合うこともありますが、同じような生きづらさを抱える仲間がたくさんいるということに気付かされます。
似た境遇で生きてきた同年代の仲間の存在は、今の私にとって大きな支えとなっています。
関西エリアの仲間たち(2019年9月 関西エリア会議)
あしなが育英会が支援している奨学生のうち、障がい者家庭は約3割を占めます。
2020年度に採用された奨学生2,835人(2020年9月8日時点)のうち、親に障がいがある家庭の学生は922人と、全奨学生の32.5%にあたります。
その割合は年々増加しており、障がい者家庭の支援の必要性の高まりが見て取れます。
「あしなが育英会の奨学生」と聞くと「親を亡くした子ども」という印象が強いかもしれません。
しかし、障がい者家庭も決して見過ごせるような数ではなく、私はこの現状をみなさんに知っていただきたいと考えています。障がい者家庭の奨学生の総数と全奨学生に対する割合の推移(一般財団法人あしなが育英会 2020)
ここまで「遺児」の現状について、私自身のバックグラウンドから、特に親に障がいがある家庭の学生に焦点を当ててきました。
「遺児」とひとことに言っても、その背景や経験は様々であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
そんな私たちの共通項は、「遺児」であり「貧困」であるということです。
しかしすでに触れたように、たとえ「遺児」であり「貧困」であっても、それが「不幸」である理由になってはならないと私は思います。
「幸せ」になる権利は全ての人に平等にあるはずです。
そしてそのための希望こそが、教育なのではないかと思うのです。
私は裕福ではないながらも、これまで不自由なく教育を受けさせてもらってきました。
選択肢は少なかったものの、こうして大学まで進学させてもらい、好きなことや学びたいことを毎日勉強することができています。
神戸レインボーハウスにて(兵庫県神戸市)
“教育によって手にした知識や経験は、誰にも奪えない自分だけの一生ものの財産なんだよ”
“だから教育は未来への投資、絶対に惜しまない”
“他の何を犠牲にしても、親として、清花がこれからの人生を生きていくのに困らないだけの教育を受けさせると約束する”
これは私がいつも大切にしている、私の両親の教育に対する想いです。
大学受験を控え、限られた選択肢の中でもがく私に母が伝えてくれました。