始めまして、有城佳音です。
このSynchronicityは、いつから自分のそばにあった物語なのかわかりません。
物語にはふたりのマリアが出てきますが、それは私が生まれる前に、生まれてくることのなかったふたつの命です。彼女たちを傍に感じながら育ってきました。それは物語ではなく、私を見守る’存在’だったかもしれません。
その’存在’を、物語として捉えたのは27歳です。
もちろん書く力量などありません。習作を何本か書きました。それがデビュー作となった「雨のように、きこえる」(2000年)です。出版のお話を頂いたとき、私が出版したかったのは、Synchronicityでした。しかし、その膨大な物語は、まだ形にもなっていません。
出版後も、頭にはSynchronicityしかなく、その膨大な物語をどう形にしていけばいいのか、途方にくれました。「射精と中国、シンプルなセックスと穴掘り」(2003年)を書き、小さな文学賞受賞の内定を頂きましたが、直前になって「中国」というワードが問題となり取り消し。これはショックを受けました。内容ではなく、ワードで弾かれてしまったことです。(そういう内容ではありません)
その後も、ひっそりとSynchronicityを書き続けましたが、文学の世界は衰退し「売れるもの」しか出版されない時代になりました。「売れるもの」とは、たくさんの人が読む可能性のあるものということです。もちろん、たくさんの人に読まれる作品は良い作品です。しかし、少ない層に読まれる作品も同じように大切です。私が救われたのは、むしろそういう作品でした。
作家になって13年そのような期間が続きましたが、私たちは疲れ果て、潰えてしまいます。そのあと、地獄を見ることとなるのですが、その地獄のなかで生きることも、この物語を書くには必要だったのではないかと思っています。
その間もこのSynchronicityはあり続けました。
私にとって、Synchronicityは、終わりのある「モノ」ではありません。それは、最初からあったもので、私の人生はそれ以外考えたことがない。そのために汚れ、傷つき、ある場合は、癒され、親切にされ、愛されました。Synchronicityは、’存在’から、私の人生そのものになっていました。この期間がなければ、Synchronicityはなかった…と思います。
潰えるどころか、自暴自棄になっていてもおかしくなかった。その一歩手前で踏み留まらせてきたのは、まだ書いていないこの物語があったからです。
七年かけてもう一度Synchronicityに辿り着きました。
今は潰えたころの私ではありません。たくさんのものを損なってしまっているかもしれません。しかし、この物語を書き上げるだけの経験と力を積みあげてきました。そして、Synchronicityには、私が堕ちることから救う力はありました。それは私だけではないかもしれない。
Synchronicityは、私たちに届けられ、命懸けで守ってきた「小さなメッセージ」です。
生きることは、残酷なことです。たくさんの痛みが襲います。しかし、残酷であるが故に、たくさんの物語を生みます。物語は人を強くする。必ずそこには、’救い’がある。諦めなければ、たどり着ける。私は自分の人生を通して、そう信じています。そして、それを証明し、伝えたい。
これがこのプロジェクトの動機です。
このSynchronicityという世界からのメッセージを、この新しく広がった世界で、ともに守り、ともに生き、ともに築き上げることに