【あしなが学生募金】夢実現への第一歩。奨学金を一人でも多くの遺児へ。

【あしなが学生募金】夢実現への第一歩。奨学金を一人でも多くの遺児へ。
あしなが学生募金事務局は毎年春と秋に街頭募金を行っていましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止となりました。経済的な理由で進学を諦めてしまう遺児学生の存在を知っていただければと思いこのプロジェクトに参加させていただきました。今後も遺児家庭の進学支援継続のため、皆様のご理解とご協力が必要です。


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【あしなが学生募金】夢実現への第一歩。奨学金を一人でも多くの遺児へ。
4 ~ 5 分

はじめまして。あしなが学生募金事務局の菊池留衣と申します。

コロナ禍で窮地に立たされている学生は少なくありません。飲食店の休業、時短営業が相次いだことにより、アルバイトの収入が減少し、生活していくのがやっとの状況で大学の休学・退学を考える学生や、学びたいこと・叶えたい夢を諦めかけている学生が多くいます。

また、街頭募金の中止により奨学金の原資確保が困難になったことで、遺児家庭の進学支援を継続できない可能性があります。現在、大学・短大・専門学校などに在籍する学生や、進学の希望を持つ遺児の支援を継続するため、クラウドファンディングを実施させていただくことになりました。

一般の学生にとっては当たり前でも、親を亡くしたり親に障がいがある家庭の学生にとっては決して当たり前でないことがあります。ここでは、ひとりの遺児としての私の経験や、思いを踏まえながら遺児にとって何が当たり前ではないのかを書いていきます。

私は、小学生の時に母をがんで亡くしました。

もともと母子家庭で、さらに病気の治療費も重なり、貧しい家庭で育ちました。

周囲の友人は好きなゲームや洋服を両親に買ってもらえるなか、欲しい物を我慢しなければいけないことも多くありました。

普通の家庭との違いは感じつつも、母が通院や入退院を繰り返しながら必死になって働き、私を育ててくれていることは子どもだった私なりに理解していましたし、私に寂しい思いをさせないよう、母は弱い姿は見せず気丈にふるまってくれていたため、嫌だとは思いませんでした。

薬の副作用や、病気の痛みに耐えながら闘病していた母を間近でみているうちに看護師になろうと思いました。

高校入学後は、看護師になるため進学をしたいと考えていました。

看護師になるには、専門学校か大学進学する必要があります。

私は、専門分野以外にも教養を身に着け、視野を広げられる4年制大学への進学を希望していました。

祖父と叔父は、私が大学へ進学したいと伝えると応援すると言ってくれましたが、家計を考えると学費の心配は強くありました。祖父の年金、叔父の収入だけでは生活が苦しくなってしまうことも分かっていたため、大学へ進学したい思いと経済的な不安を抱え、本当に大学へ進学して良いかとても悩みました。

私を含め、遺児家庭の学生たちは進学するのが当たり前ではありません。

家庭のことを考え、進学を諦めてしまう子どももいる一方で、進学が当たり前、深く考えずに進学を決める周囲の友人を見て、とても複雑な思いになりました。

一般の学生にとっても、進学は人生を左右する大きな決断であり悩みを抱えるものであると理解はしていました。

しかし、自分で奨学金を申請しながら、両親がいる家庭では当たり前のことが遺児学生にとっては当たり前ではないと実感せざるを得ませんでした。

高校三年生の間は、とにかく受験勉強に没頭しましたが、第一志望には届きませんでした。

経済的な余裕がない家庭で、浪人しても負担になってしまうことは私もよく分かっていましたが、一緒に生活する祖父と叔父に、浪人させてほしいと頭を下げました。

最初は、早く看護師になって就職してほしいと反対されましたが、最終的には一年だけ、という約束で承諾してくれました。

しかし、承諾してくれたとはいえ予備校に行く余裕はなく、大手予備校の価格の低い週一回90分の授業だけを受け、その他は独学で受験勉強をしました。